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  •  菱田 自得 (ひしだ じとく) 1793〜1868

    苦甘蒔絵棗
    (くかんまきえなつめ)

     菱田自得作

     製作年代 : 
    江戸時代末期
    安政〜慶應頃

     法量 :
    直径61mm×高63mm

     鑑賞 :
    幕末の徳川幕府御細工所の御蒔絵師で上席にあった菱田自得作の中棗です。 黒漆真塗無地に見えますが、蓋甲に黒漆でわずかに隆起させて「苦」の字、蓋裏に金の高蒔絵で「甘」の字があり、 蓋を開けて初めて「苦い」と「甘い」であることがわかる趣向で、茶道具にふさわしい意匠です。
     底部に蒔絵師の作銘としては特異な自身銘があります。 別に、同意匠・同銘の大棗1点と中棗1点が現存しており、 いくつか作られたようです。

     意匠 :
    蓋甲には「苦」の字、蓋裏には「甘」の字で、いずれも隷書で表され、表裏で技法も陰陽としています。

     形状 :
    利休形の中棗です。

     技法 :
    ・黒漆の真塗で、際立ったその塗りの技は、明治の塗の名工・渡邊喜三郎を思わせます。 菱田家の専属塗師は喜三郎でした。いわゆる近代の初代・渡邊喜三郎の父の喜三郎の作と思われます。
    ・蓋甲は黒漆で緩やかに高上げして「苦」字を仕上げています。 蓋裏は金粉の高蒔絵で、キリっと垂直に高く上げています。

     作銘 :
    底部に「御まきゑし/菱田自得(花押)」の蒔絵銘があります。 自らの役職を堂々と書き添え、その権力を誇示しているようです。 蒔絵師の銘で、しかも茶道具の底一杯にこのように自身銘を大書した例はほとんどありません。

     附属品 :
    茶箱の中に組まれて伝存していました。浅葱地青海波梅模様緞子の仕覆が元から附属しています。
     元は共箱も附属していたと考えられますが、箱の方は茶箱に組む際に別のものと入れ替えられた可能性があります。 昭和11年(1936)に名古屋美術倶楽部で行われた『岐阜宮島華陽荘愛蔵品売立』に 「菱田自得斎 苦甘棗 共箱」が出品されており、全く違う意匠の棗が写真に写っています。 一方、同趣の作品で、共箱を伴ったものも別に1点現存しています。

     伝来 :
    国内に伝来し、茶箱の中に組まれて伝存していました。1996年に出現しています。

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    2024年 7月15日UP