古満 寛哉 初代(こま かんさい) 1767〜1835
菊水蒔絵喰籠
(きくすいまきじきろう)
古満寛哉(初代)作
製作年代 :
江戸時代後期 天保2年(1831)
法量 :
径180mm×高84mm
鑑賞 :
金梨子地に高蒔絵、鉛・厚貝螺鈿の豪華な喰籠です。古満寛哉が所持していた喰籠の形を
写したものに、茶人大名の松平不昧が所蔵していた香箱の蒔絵を再現したものです。
製作年と経緯が判明し、さらに初代古満寛哉による現存唯一の共箱が附属する作品です。
意匠 :
外箱の敷板に寛哉自身が書付けた識語によれば、松平不昧所持の香箱を写したとあります。
琳派風の菊水の意匠です。
形状 :
印籠蓋造で、底の浅い円形合子形の喰籠です。
技法 :
・挽物の素地に金地と濃梨子地、高蒔絵鉛螺鈿の作品です。
・流水部分は金粉溜地に規則正しい波模様と渦水模様を付描で表しています。
渦水模様は付描でも最も難しいものですが、苦もなく仕上げたかのように多く配置しています。
・州浜形に高上げした土坡部分は金梨子地とし、菊を焼金粉と青金粉の高蒔絵で表しています。
菊の花と蕾は、高蒔絵の他に鉛板と厚貝螺鈿の象嵌です。
・内側と立上がり、底も総金梨子地で、釦を金地にしています。
附属品 :
縹地吉祥文緞子の仕覆が附属しています。
外箱 :
珍しい提手が付いた挿蓋造の桐製の外箱で、蓋表には「時代菊蒔繪喰籠」、
蓋裏には「時代描金寫寛哉」の墨書と「龍斎」の朱文方形印があります。
「龍斎」印は初代・2代の古満寛哉が、ごく稀に使用した印文で、
初代古満寛哉作「蝉蒔絵印籠」(東京国立博物館蔵)にも用いられています。
製作経緯 :
外箱の中、敷板の裏に「天保二卯のとし皐月朔日出来、
雲州侯御寶蔵時代香筥を以て手本とし、形は余所持の食籠にて意造」
との墨書があります。
これは寛哉の自筆書付で、「天保2年(1831)2月1日に完成した。
雲州侯(出雲国松江藩主の松平治郷)が秘蔵する時代香箱を
手本とし、形は余(寛哉)が所持する喰籠の意をもって造った」ということです。
製作年と製作経緯が判明するだけでなく、
すでに剃髪して「坦哉」あるいは「坦叟」と号していた初代寛哉が、
いまだに「寛哉」の号も使っていたことも分かります。このことは「寛哉老人」という銘が
剃髪後の晩年のものではないか、という推測を裏付けるものでもあります。
また古満寛哉も原羊遊斎と同様に松平不昧と交流があったことも分かります。
伝来 :
江戸期の伝来は不明ですが、戦前には山梨県甲府の実業家・政治家であった村松甚蔵(1869-1945)が所蔵し、
昭和11年(1936)2月24日に東京美術倶楽部で行われた「甲州汲古庵村松家蔵品入札」の売立目録に写真
が残っています。
戦後は、長らく東山庵コレクションにありました。
展観履歴 :
1984 富山美術館「東山庵コレクション 近世・日本の美と心をもとめて」
2022 国立能楽堂資料展示室「秋の風 能楽と日本美術」
2023 MIHO MUSEUM「蒔絵百花繚乱」展
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稲穂蒔絵印籠 (いなほまきえいんろう)
古満寛哉(初代)作
製作年代 : 江戸時代後期
天保4年(1833)
法量 :
縦86mm×横51mm×厚20mm
鑑賞 :
風になびく稲穂を研出蒔絵で表現した作品です。簡明な表現でありながら、古満寛哉晩年の傑作です。
緒締は金工、根付は象牙金工の月雲雁を取り合わせています。
意匠 :
表裏ともに、たわわに実り、風にそよぐ稲穂を表しています。根付と併せて「稲穂に雁」としています。
形状 :
小判形四段の印籠です。幕末の小判形の印籠と異なり、肩が張った独特な形となっています。
技法 :
焼金粉溜地に総研出蒔絵としています。
上方の稲穂は青金粉、下方は焼金粉で、稲の実は引掻きとしています。
一見、簡単な作品に見えますが、
引掻きとしながらしかも研出蒔絵とした2倍のリスクを乗り越えた作品で、
寛哉の自信の程が伺えます。重なる稲穂を
表現した技術は、極めて高度です。
また稲の葉の鋭さ、蒔き暈しの巧妙さなど非凡な才能が感じられます。
印籠段内部は豪華な刑部梨子地です。
作銘 :
底部に大字で「行年六十七/坦哉造」との自身銘があります。
67歳は、天保4年(1833)にあたります。
寛哉は剃髪して坦哉または坦叟と号しましたが、
坦哉銘は少なく、今のところ他に2点しか確認されていません。
伝来 :
長らくイギリスにあり、1992年に日本に里帰りしました。
展観履歴 :
1999 五島美術館「羊遊斎」展
2003 京都文化博物館・福島県立博物館「男も女も装身具」展
2019 東京富士美術館「サムライ・ダンディズム」展
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古満 寛哉 2代 (こま かんさい) 1797〜1857
十二支蒔絵印籠 (じゅうにしまきえいんろう)
古満寛哉(2代)作
製作年代 : 江戸時代末期
天保〜安政頃(circ.1850)
法量 :
縦81mm×横59mm×厚20mm
鑑賞 :
2代古満寛哉の印籠の最高傑作です。金工象嵌
と緻密な高蒔絵で十二支を表現した作品です。
根付には古満安匡作「龍蒔絵根付」、緒締は古渡珊瑚を取り合わせています。
意匠 :
十二支の意匠で、表に子・丑・寅・卯・辰・巳を、裏に午・未・申・酉・戌・亥を振り分けています。
未は羊でなく、山羊が描かれています。この時代には、しばしばあることです。「十二支蒔絵印籠」
は父の初代古満寛哉が作っており、
東京藝術大学大学美術館
に所蔵されています。
恐らく下絵が残っていたのでしょう。
牛の構図は初代寛哉のものと全く同じです。
他の動物は全て変えています。
形状 :
昔形四段の印籠で、標準的な大きさです。
技法 :
・完璧なまでに研ぎ上げられた金粉溜地に、金工象嵌と高蒔絵です。
蒔絵がすべて出来上がってから象嵌する部分を形に沿って彫り込み、象嵌しています。
鼠は銀容彫に金象嵌、虎は朧銀容彫に金象嵌、兔は金容彫、蛇は朧銀容彫に金象嵌、
猿は朧銀地容彫素銅象嵌、鶏は赤銅容彫に金象嵌、犬は赤銅容彫に金象嵌
猪は朧銀容彫に金象嵌です。無銘ですが装剣金工師の巧手の手になるものでしょう。
・龍は高蒔絵で鱗を一枚一枚立体的に形作っています。馬は青金高蒔絵で、山羊は高蒔絵で毛並を毛彫りしています。
この作品の見所は赤銅粉高蒔絵の牛です。他の多くが金工を象嵌したものであるため、
一見赤銅容彫象嵌に見えますが、実は赤銅粉の高蒔絵に
毛並みを片切彫で表わしています。
特に牛の尾の表現は蒔絵筆によるものですが、人間業とは思えないほど見事です。
また全ての高蒔絵は、高上げの肉取りが非常に優れています。
・内部は豪奢な刑部梨子地に仕立てられています。
作銘 :
蓋裏に「古満寛哉(花押)」と蒔絵銘があります。
2代寛哉の印籠の上作は、必ずこうした蓋裏の隠し銘であり、
最上作では内部を豪奢な刑部梨子地にして、
蓋裏に蒔絵銘として、さらに花押も添えています。
伝来 :
20世紀初頭のアメリカの印籠コレクター、
ウィリアム・デュ・ポンド氏の旧蔵品で、1995年に日本に里帰りしました。
展観履歴 :
1999 五島美術館「羊遊斎」展
2002 国立歴史民俗博物館・岡崎市美術博物館「男も女も装身具」展
2019 東京富士美術館「サムライ・ダンディズム」展
2023 MIHO MUSEUM「蒔絵百花繚乱」展
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芙蓉蒔絵螺鈿印籠 (ふようまきえらでんいんろう)
古満寛哉(2代)作
製作年代 :
江戸時代後期 天保〜安政 circa1850
法量 :
縦66×横53×厚20mm
鑑賞 :
2代古満寛哉作の光琳風印籠です。酒井抱一『光琳百図』の「芙蓉図」に着想し、
鹿子金地に鉛、螺鈿を象嵌して琳派風に仕上げたものですが、
段内部を刑部梨子地にするなど、当時の江戸の流行にあわせて、より豪華な印籠になっています。
W.L.ベーレンズ(1862〜1913)の旧蔵品で、
古くから欧米で名品として知られていた作品です。
初代古満寛哉作「秋草鹿蒔絵根付」、七宝文七宝緒締を取り合わせています。
意匠 :
「光琳図」と銘文にありますが、デザインソースは、
文政9年(1826)に酒井抱一が刊行した『光琳百図』後編の「芙蓉図」
のようです。裏面は寛哉の創作でしょう。
寛哉一門の作品には『光琳百図』や『乾山遺墨』に取材したものが
多く現存しています。2代寛哉による同様な「光琳図」銘の光琳風印籠としては、
「藤蒔絵螺鈿印籠」(リバプール博物館蔵)と、
「竹梅蒔絵螺鈿印籠」(旧ランガム・コレクション)
があり、いずれも鹿子金地に鉛螺鈿の似た作風です。
形状 :
昔形3段の印籠で、天地を平らにし、角に面を取っています。
寛哉の印籠としては珍しい形状で、京印籠の形を真似ながら、
面の取り方を非常に大きくして、独創的な形状を作り出したと考えられます。
2代古満寛哉作「藤蒔絵螺鈿印籠」(リバプール博物館蔵)も全く同じ形状です。
技法 :
・金地に鉛・螺鈿を象嵌して琳派風に仕上げています。
地蒔は、金粉溜地に平目粉を打ち込んだ鹿子金地です。
・芙蓉は枝と葉を鉛板で、花と蕾は故意に荒々しく割った
夜光貝の割貝による螺鈿で表しています。花の蘂には付描をしています。
・段内部は刑部梨子地に仕立てられており、
元禄の光琳印籠を豪華に翻案した作品と言えます。
作銘 :
底部下の中央に「光琳図/寛哉冩」と蒔絵銘があります。
伝来 :
アメリカの初期の印籠・根付・刀装具コレクターとして有名な
W.L.ベーレンズ(1862〜1913)の旧蔵品です。
1912年にニューヨークで刊行されたヘンリー.L.ジョリー著『W. L. Behrens collection』第2巻に
蔵品番号833として印籠裏面の写真があります。
その後、フランスの印籠コレクター、ポール・コービンのコレクションを経て、
近年は世界一の印籠コレクターであったイギリスの
エドワード・A・ランガム氏の所有となっていました(蔵品番号1122)。
古くから欧米で名品として知られていた作品ですが、
ランガム氏の没後売却され、2013年に日本国内に戻りました。
展観履歴 :
1972 アシュモリアン美術館
「Japanese Inro from the collection of E.A.Wrangham」展
2023 MIHO MUSEUM
「蒔絵百花繚乱」展
展観以外の所載履歴 :
1912 『W. L. Behrens Collection: Lacquer and inro』
1995 『ナセル・D・ハリリコレクション 海を渡った日本の美術』
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2007年12月 6日UP 2024年11月27日更新
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