古満 寛哉 初代(こま かんさい) 1767〜1835
上野桜蒔絵印籠(うえののさくらまきえいんろう)
古満寛哉(初代)作
製作年代 : 江戸時代後期
文政頃(circa1820)
法量 :
縦73mm×横48mm×厚17mm
鑑賞 :
浅草蔵前の札差で俳諧の大家・夏目成美(1749〜1817)による俳句
「上野にて 宮さまもおよらぬさうな花に風」
と桜を両面に表した印籠です。 初代古満寛哉が非常に高度な技術で、
しかも瀟洒に仕立てた江戸情緒あふれる印籠です。当時の粋人の特注品でしょう。
古渡珊瑚の緒締と鈴木美彦作「水月桜鏡蓋根付」を取り合わせています。
意匠 :
夏目成美の「上野にて 宮さまもおよらぬさうな花に風 成美」
との俳句を表しています。当時の江戸では、花見の名所として上野・向島・飛鳥山・御殿山が有名でした。
とりわけ上野は、日光山輪王寺門跡、比叡山延暦寺天台座主
を兼務する上野東叡山寛永寺貫主すなわち輪王寺宮(上野の宮様)が
在住していたこともあって、最も高尚な花見の場所でした。
この句も「上野の宮様もお休みになれないでしょう、桜に吹く風が心配で」
というほどの意味と考えられます。
この夏目成美の句は文化6年(1809)に初出で、『成美家集 上』(1817)にも、採録されている句です。
反対、隠し紐通の印籠です。
技法 :
総体黒蝋色塗地とし、焼金粉の平蒔絵で、夏目成美の俳句を表しています。
硬い漆で付描にした非常に高度な平蒔絵です。
桜は焼金粉と銀粉の研出蒔絵で表しています。
桜を中心に淡く銀平目粉も蒔き、夜の情景を表現しています。
段内部は金梨子地です。
作銘 :
底部左下に「寛哉」との蒔絵銘があります。
夏目成美 :
江戸浅草蔵前瓦町の札差・井筒屋八郎右衛門の6代目です。
修行庵、随斎、不随斎、法林庵、贅亭、無辺法界排士、卍齢坊、
大必山人、四三山道人、風雲社とも号しました。
父から俳句を学んだ他は、ほぼ独学で江戸俳諧の中心的人物として大成し、
大島完来、鈴木道彦、建部巣兆と共に「江戸四大家」と称されました。
小林一茶の庇護者でもあり、『随斎諧話』『成美家集』などの
著作、句集も刊行しました。
伝来 :
都内で大切にされて伝来してきた作品で、
2013年にうぶの状態で出現しました。
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稲穂蒔絵印籠 (いなほまきえいんろう)
古満寛哉(初代)作
製作年代 : 江戸時代後期
天保4年(1833)
法量 :
縦86mm×横51mm×厚20mm
鑑賞 :
風になびく稲穂を研出蒔絵で表現した作品です。簡明な表現でありながら、古満寛哉晩年の傑作です。
緒締は金工、根付は象牙金工の月雲雁を取り合わせています。
意匠 :
表裏ともに、たわわに実り、風にそよぐ稲穂を表しています。根付と併せて「稲穂に雁」としています。
形状 :
小判形四段の印籠です。幕末の小判形の印籠と異なり、肩が張った独特な形となっています。
技法 :
焼金粉溜地に総研出蒔絵としています。
上方の稲穂は青金粉、下方は焼金粉で、稲の実は引掻きとしています。
一見、簡単な作品に見えますが、
引掻きとしながらしかも研出蒔絵とした2倍のリスクを乗り越えた作品で、
寛哉の自信の程が伺えます。重なる稲穂を
表現した技術は、極めて高度です。
また稲の葉の鋭さ、蒔き暈しの巧妙さなど非凡な才能が感じられます。
印籠段内部は豪華な刑部梨子地です。
作銘 :
底部に大字で「行年六十七/坦哉造」との自身銘があります。
67歳は、天保4年(1833)にあたります。
寛哉は剃髪して坦哉または坦叟と号しましたが、
坦哉銘は少なく、今のところ他に2点しか確認されていません。
伝来 :
長らくイギリスにあり、1992年に日本に里帰りしました。
展観履歴 :
1999 五島美術館「羊遊斎」展
2003 京都文化博物館・福島県立博物館「男も女も装身具」展
2019 東京富士美術館「サムライ・ダンディズム」展
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古満 寛哉 2代 (こま かんさい) 1797〜1857
十二支蒔絵印籠 (じゅうにしまきえいんろう)
古満寛哉(2代)作
製作年代 : 江戸時代末期
天保〜安政頃(circ.1850)
法量 :
縦81mm×横59mm×厚20mm
鑑賞 :
2代古満寛哉の印籠の最高傑作です。金工象嵌
と緻密な高蒔絵で十二支を表現した作品です。
根付には古満安匡作「龍蒔絵根付」、緒締は古渡珊瑚を取り合わせています。
意匠 :
十二支の意匠で、表に子・丑・寅・卯・辰・巳を、裏に午・未・申・酉・戌・亥を振り分けています。
未は羊でなく、山羊が描かれています。この時代には、しばしばあることです。「十二支蒔絵印籠」
は父の初代古満寛哉が作っており、
東京藝術大学大学美術館
に所蔵されています。
恐らく下絵が残っていたのでしょう。
牛の構図は初代寛哉のものと全く同じです。
他の動物は全て変えています。
形状 :
昔形四段の印籠で、標準的な大きさです。
技法 :
・完璧なまでに研ぎ上げられた金粉溜地に、金工象嵌と高蒔絵です。
蒔絵がすべて出来上がってから象嵌する部分を形に沿って彫り込み、象嵌しています。
鼠は銀容彫に金象嵌、虎は朧銀容彫に金象嵌、兔は金容彫、蛇は朧銀容彫に金象嵌、
猿は朧銀地容彫素銅象嵌、鶏は赤銅容彫に金象嵌、犬は赤銅容彫に金象嵌
猪は朧銀容彫に金象嵌です。無銘ですが装剣金工師の巧手の手になるものでしょう。
・龍は高蒔絵で鱗を一枚一枚立体的に形作っています。馬は青金高蒔絵で、山羊は高蒔絵で毛並を毛彫りしています。
この作品の見所は赤銅粉高蒔絵の牛です。他の多くが金工を象嵌したものであるため、
一見赤銅容彫象嵌に見えますが、実は赤銅粉の高蒔絵に
毛並みを片切彫で表わしています。
特に牛の尾の表現は蒔絵筆によるものですが、人間業とは思えないほど見事です。
また全ての高蒔絵は、高上げの肉取りが非常に優れています。
・段内部は豪奢な刑部梨子地に仕立てられ、釦は金地になっています。
作銘 :
蓋裏に「古満寛哉(花押)」と蒔絵銘があります。
2代寛哉の印籠の上作は、必ずこうした蓋裏の隠し銘であり、
最上作では内部を豪奢な刑部梨子地にして、
蓋裏に蒔絵銘として、さらに花押も添えています。
伝来 :
20世紀初頭のアメリカの印籠コレクター、
ウィリアム・デュ・ポンド氏の旧蔵品で、1995年に日本に里帰りしました。
展観履歴 :
1999 五島美術館「羊遊斎」展
2002 国立歴史民俗博物館・岡崎市美術博物館「男も女も装身具」展
2019 東京富士美術館「サムライ・ダンディズム」展
2023 MIHO MUSEUM「蒔絵百花繚乱」展
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芙蓉蒔絵螺鈿印籠 (ふようまきえらでんいんろう)
古満寛哉(2代)作
製作年代 :
江戸時代後期 天保〜安政 circa1850
法量 :
縦66×横53×厚20mm
鑑賞 :
2代古満寛哉作の光琳風印籠です。酒井抱一『光琳百図』の「芙蓉図」に着想し、
鹿子金地に鉛、螺鈿を象嵌して琳派風に仕上げたものですが、
段内部を刑部梨子地にするなど、当時の江戸の流行にあわせて、より豪華な印籠になっています。
W.L.ベーレンズ(1862〜1913)の旧蔵品で、
古くから欧米で名品として知られていた作品です。
初代古満寛哉作「秋草鹿蒔絵根付」、七宝文七宝緒締を取り合わせています。
意匠 :
「光琳図」と銘文にありますが、デザインソースは、
文政9年(1826)に酒井抱一が刊行した『光琳百図』後編の「芙蓉図」
のようです。裏面は寛哉の創作でしょう。
寛哉一門の作品には『光琳百図』や『乾山遺墨』に取材したものが
多く現存しています。2代寛哉による同様な「光琳図」銘の光琳風印籠としては、
「藤蒔絵螺鈿印籠」(リバプール博物館蔵)と、
「竹梅蒔絵螺鈿印籠」(旧ランガム・コレクション)
があり、いずれも鹿子金地に鉛螺鈿の似た作風です。
形状 :
昔形3段の印籠で、天地を平らにし、角に面を取っています。
寛哉の印籠としては珍しい形状で、京印籠の形を真似ながら、
面の取り方を非常に大きくして、独創的な形状を作り出したと考えられます。
2代古満寛哉作「藤蒔絵螺鈿印籠」(リバプール博物館蔵)も全く同じ形状です。
技法 :
・金地に鉛・螺鈿を象嵌して琳派風に仕上げています。
地蒔は、金粉溜地に平目粉を打ち込んだ鹿子金地です。
・芙蓉は枝と葉を鉛板で、花と蕾は故意に荒々しく割った
夜光貝の割貝による螺鈿で表しています。花の蘂には付描をしています。
・段内部は刑部梨子地に仕立てられており、
元禄の光琳印籠を豪華に翻案した作品と言えます。
作銘 :
底部下の中央に「光琳図/寛哉冩」と蒔絵銘があります。
伝来 :
アメリカの初期の印籠・根付・刀装具コレクターとして有名な
W.L.ベーレンズ(1862〜1913)の旧蔵品です。
1912年にニューヨークで刊行されたヘンリー.L.ジョリー著『W. L. Behrens collection』第2巻に
蔵品番号833として印籠裏面の写真があります。
その後、フランスの印籠コレクター、ポール・コービンのコレクションを経て、
近年は世界一の印籠コレクターであったイギリスの
エドワード・A・ランガム氏の所有となっていました(蔵品番号1122)。
古くから欧米で名品として知られていた作品ですが、
ランガム氏の没後売却され、2013年に日本国内に戻りました。
展観履歴 :
1972 アシュモリアン美術館
「Japanese Inro from the collection of E.A.Wrangham」展
2023 MIHO MUSEUM
「蒔絵百花繚乱」展
展観以外の所載履歴 :
1912 『W. L. Behrens Collection: Lacquer and inro』
1995 『ナセル・D・ハリリコレクション 海を渡った日本の美術』
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2007年12月 6日UP 2025年 2月15日更新
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