飯塚 桃葉 初代
(いいづか とうよう) 1725?〜1790
梨花精衛蒔絵印籠
(なしのはなにせいえいまきえいんろう)
飯塚桃葉(初代)作
製作年代 :
江戸時代中期
宝暦14年(1764)〜
寛政2年(1790)頃
法量 :
縦85mm×横71mm×厚20mm
鑑賞 :
極めて珍しい青漆蝋色塗金平目地に、
刊本『画図百花鳥』に描かれる「梨花に精衛」を高蒔絵と螺鈿で緻密に表わした印籠です。
徳島藩主蜂須賀家伝来品と考えられ、
緒締は孔雀石、根付は初代飯塚桃葉作「蘭蒔絵根付」が取り合わされ、
印籠紐とその結びまで当時のままです。
意匠 :
享保14年(1729)に刊行された刊本『画図百花鳥』に描かれる16番「梨花に精衛」
を意匠としています。「精衛」は古代中国の伝説上の鳥で、
夏をつかさどる炎帝の娘が東海で溺死した後に化したとされる鳥です。
嘴が白く、脚が赤い鳥とされ、原画は雌雄2羽が描かれていますが、
印籠では雌が省かれ、雄だけが描かれています。
形状 :
常形4段の印籠です。
技法 :
・非常に珍しい緑色の青漆蝋色金平目地に源氏雲と霞を肉合研出蒔絵とし、
その上に「梨花に精衛」を高蒔絵と螺鈿で表しています。
・白蝶貝を立体的に彫り上げた梨花は、象嵌ではなく、
地塗の前に配置されてから青漆平目地がなされています。
・梨の木は高蒔絵で、葉には金貝の極付や切金が緻密に施されています。
・段の内部は金梨子地になっています。
作銘 :
底部の左下に、「觀松斎(花押)」と飯塚桃葉の作銘があります。
蘭蒔絵根付 :
黒蝋色塗金平目地に高蒔絵と金貝の極付、青貝で蘭を表しています。青貝の上には見事な毛彫があります。
内側は金梨子地です。
裏面に、「觀松斎(花押)」と飯塚桃葉の作銘があります。
伝来 :
2021年に国内で出現しました。記録はありませんが、徳島藩主蜂須賀家伝来品と考えられます。
その理由は下記のとおりです。
1.根付まで現存数の少ない初代飯塚桃葉の蘭蒔絵根付が附属していること。
2.印籠・根付ともに藩主家蜂須賀家御用品に入れるべき「観松斎」銘であること。
3.印籠紐が蜂須賀家伝来の「五十三次蒔絵印籠」をはじめ、
蜂須賀家伝来もしくは蜂須賀家より下賜の印籠にみられる、印籠の下に結び目を作る極めて特殊な結び方であること。
『画図百花鳥』 :
『画図百花鳥』は、狩野探幽・常信の原画を石仲子守範が写し、俳句を添えて、
享保14年(1729)に5冊組の刊本としたものです。刊行の経緯は不明ですが、
江戸の書肆・西村源六、松栢堂出雲寺和泉掾、河内屋茂兵衛などから同時に刊行したようです。
様々な花鳥の組み合わせが100掲載されています。
飯塚桃葉作「百花鳥印籠」 :
古満安匡作「百花鳥印籠」は、
美濃国加納藩主永井家に伝来したもので、
「御印籠屏風」と呼ばれ、屏風のように掛け面連ねられていたと伝えられます。
一方、飯塚桃葉作「百花鳥印籠」は同じように『画図百花鳥』に取材したものながら、
由緒はよくわかっていません。
実際に世界各地に現存していることから、フィンランドの印籠研究家
ハインツ・クレスが論文に発表されたことから知られるようになりました。
国内では京都国立博物館が収蔵した2点と、静嘉堂文庫美術館の3点が知られています。
古満安匡作「百花鳥印籠」が同形・同寸法であるのに対し、
飯塚桃葉は大きさも形もまちまちなようです。
偶然にもほぼ同じ時代の2人の名匠が、
同じ刊本に取材してそれぞれに100個の百花鳥印籠を作ったと考えられます。
展観履歴 :
2023 MIHO MUSEUM「蒔絵百花繚乱」展
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雲龍蒔絵印籠(うんりゅうまきえいんろう)
飯塚桃葉作 狩野典信下絵
製作年代 :
江戸時代中期 宝暦14年(1764)〜安永9年(1780)頃
法量: 縦80mm×横68mm×厚22mm
鑑賞 :
「芦雁蒔絵印籠」(東京国立博物館蔵)と並ぶ、飯塚桃葉による研切蒔絵の傑作です。
狩野栄川院典信下絵の墨絵雲龍図を忠実に蒔絵で再現したものです。
豪快な雲竜図は注文者の前徳島藩主、蜂須賀重喜の豪快な気質をよく表す作品といえます。
緒締には瑪瑙玉、根付には是楽作「風神鏡蓋根付」が取り合わされています。
意匠 :
墨絵雲龍図を蒔絵で表現したものです。表には雲の中から睨む龍を、
裏には龍によって渦が巻き起こった雲が表されています。
木挽町狩野家当主であり、徳川幕府の奥絵師筆頭で、
江戸狩野派の総帥でもある狩野栄川院典信による法眼銘の下絵です。
典信が法眼であったのは宝暦12年(1762)〜安永9年(1780)です。
印籠の下絵は、最終製作者である蒔絵師の許に保存されます。
飯塚桃葉の場合もそうだったようです。ところが天明元年(1781)、
徳島藩は、飯塚桃葉が前藩主蜂須賀重喜のために製作した印籠の内、
狩野栄川院典信筆の下絵を提出するよう桃葉に命じています。
一方で「蒔絵金具類下絵」という資料が現存しています。
その中には狩野栄川院典信や徳島藩御用絵師、河野栄壽・矢野栄教らの下絵が貼りこまれています。
これは徳島藩が御用職人らに製作させた作品の内、
有名絵師が描いた下絵を保全する目的で編集されたものと考えられます。
つまり前述の桃葉が徳島藩に提出した下絵を、
徳島藩が編集した資料が「蒔絵金具類下絵」なのです。
その中にはこの印籠や芦雁蒔絵印籠(東京国立博物館蔵)の下絵が含まれており、
図様は寸分違わず合致しています。
以上のことから、この印籠は、国許の大谷御殿に隠居していた蜂須賀重喜が、
安永年間に江戸の飯塚桃葉に製作させた作品と考えられます。
形状 :
常形、隠し紐通し4段の大振りな印籠です。
技法 :
・ 金粉溜地に研切蒔絵
で表されています。研切蒔絵では金属粉の他に、
墨絵の部分を表す黒色粉を使います。また濃淡を表すための中間色として、
金属粉と黒色粉と混合した粉を用意します。
この印籠では焼金粉と黒色粉の間に中間色が2段階あり、
4回に分けて蒔くことによって、墨絵の雰囲気を忠実に表しています。
・ 内部は金梨子地です。
作銘 :
底部の右上に「法眼栄川画」と「白玉斎」の朱漆書印があり、狩野栄川院典信の下絵銘となっており、左下には「觀松斎(花押)」の作銘があります。
伝来 :
2003年まで、数十年にわたって印籠・袋物のまとまったコレクションとして眠っていた作品です。
展観履歴 :
2013 徳島市立徳島城博物館「狩野栄川院と徳島藩の画人たち」展
2019 東京富士美術館
「サムライ・ダンディズム」展
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飯塚 桃葉 2代
(いいづか とうよう) 1766?〜1844?
香道具蒔絵鏡蓋根付
(こうどうぐまきえかがみぶたねつけ)
飯塚桃葉(2代)作
製作年代 :
江戸時代中期 天明頃(1781〜1788)
法量 :
直径40mm×厚14mm
鑑賞 :
香道具を意匠とした格調高い作品で、2代飯塚桃葉による部屋住み時代の初期作です。
徳島藩主蜂須賀家の特注品で、兎手有栖川錦の巾着と白珊瑚の緒締が取り合わされています。
明治15年(1882)、第3回観古美術会に侯爵蜂須賀茂昭が出品した名品です。
西国の国主大名家における嚢物の習俗を知る上でも貴重です。
意匠 :
香道具の意匠で、鳥蝶蒔絵の阿古陀形香炉と香包を配しています。
香包は雲形の意匠で「九重」と書かれています。
形状 :
鏡蓋根付で、鏡板は銀板で、紐通は銀の輪が蝋付された珍しい形状です。
台は挽き物です。
技法 :
銀板の鏡板を金粉溜地とし、阿古陀形香炉と香包を高蒔絵にしています。
特に香炉の高蒔絵や火屋の表現は見事です。
作銘 :
鏡板の裏に毛彫銘があります。
2代飯塚桃葉は、桃枝から桃子と改号し、家督を相続して桃葉になっています。
桃枝銘は10代後半から20代前半までに作られた作品です。
時代背景を考えると部屋住時代に藩主家から注文されたことになりますので、
国許で隠居中の重喜ではなく、当主治昭からの注文と考えるべきでしょう。
附属品 :
有栖川錦の巾着、白珊瑚の緒締、「有栖川/兎織物」と墨書のある包紙が附属しています。
有栖川錦巾着 :
有栖川錦は、有栖川宮家に所蔵されていたことに由来するともされますが定かではありません。
特に兎手は他の馬や鹿と全く異なる生地です。
巾着はもともと火打石を入れましたが、江戸時代後期には、印籠と同様に単なる装身具になっていたようです。
中には何も入れず、巾着の口を縫って何も入れられないようになっているものすらあります。
伝来 :
蜂須賀家の特注品で、同家に伝来し、
明治15年(1882)の第3回観古美術会に出品されました。
その後、蜂須賀家伝来の初代飯塚桃葉作「五十三次蒔絵印籠」、
白亀斎作「亀蒔絵印籠」の2点、巾着2点の計4点が共に伝来し、
2008年に市場に登場しましたが行方不明となり、
2010年に再確認して、今回の公開となりました。
観古美術会 :
観古美術会は、当時工芸が衰退していたため、
明治維新以前の名品を集めて輸出工芸の振興を図る目的で
内務省博物局によって開催された国策レベルの古美術展です。
第2回展からは、上野天龍山生池院において結成された龍池会が引継ぎ、
第3回展には明治天皇が行幸し、その後総裁に有栖川宮熾仁親王を迎えました。
第7回展を最後に、龍池会は日本美術協会と改称し、美術展覧会(現在の「日展」)へと発展しました。
第3回展は、明治15年(1882)4月1日から5月31日まで、
浅草本願寺で開催されました。侯爵・蜂須賀茂昭は、狩野元信筆布袋図幅、
38点の印籠、3点の印籠巾着の合提、17点の名物裂を使用した巾着を出品しました。
本作は出品目録の「有栖川兎手巾着」に該当します。
展観履歴 :
1882 龍池会「第3回 観古美術会」
2019 東京富士美術館「サムライ・ダンディズム」展
祖谷蔓橋蒔絵印籠
(いやのかずらばしまきえいんろう)
飯塚桃葉(2代)作
寸法 :
縦84mm×横64mm×厚21mm
製作年代 :
江戸時代後期 文政11年(1828)?
鑑賞 :
2代飯塚桃葉が晩年の63歳の時に作った印籠です。
平家落人伝説で有名な阿波の秘境に架かる「祖谷の蔓橋」の藤蔓の材を使い、
画題も同じ「祖谷の蔓橋」として木地蒔絵にした、
極めて興趣に富む印籠です。
ウイリアム・W・ウィンクワース卿(1897〜1991)、
エドワード・A・ランガム氏(1928〜2009)の旧蔵を経た名品です。
根付には梅蒔絵饅頭根付、緒締には胡桃実を取り合わせています。
意匠 :
祖谷の蔓橋
は、平家落人伝説のある阿波国西部の秘境、
祖谷溪谷に架かる吊橋で、現在では国の重要有形民俗文化財に指定されています。
この「祖谷の蔓橋」が印籠の表裏に表され、柴を背負った樵夫2人が渡る様子が描かれています。
桃葉の取材銘には「於」の字の有無が意識されており、桃葉が現地に行ったことは確実です。
2代飯塚桃葉の生没年は不明ですが、63歳の
桃葉が私的にこの辺境の地まで旅行することは考えがたいことです。
文政11年(1828)9月24日、徳島藩主蜂須賀斉昌は祖谷橋巡見を行い、
藩御用絵師の渡邊廣輝も随行して墨画「蔓橋老松図」を描いています。
2代飯塚桃葉も随行して、この材を取材した可能性が高いと考えられます。
私が、2代桃葉の生年を1766年と推定する根拠の一つとしている資料でもあります。
形状 :
常形2段の印籠です。最下段を深くしています。
技法 :
・祖谷橋の藤蔓の芯近くを刳り貫いて、印籠の素地としています。
立上がりは紫檀を刳り貫いて作り、各段に嵌め込んでいます。
・目の粗い素地に、木地蒔絵の手法で高蒔絵としています。
樵夫などは、顔の表情まで描いています。
作銘 :
底部に「取材於柤谷橋之/藤蔓/行六十三/桃葉(花押)」と蒔絵銘があります。
この花押は50歳代後半から使ったと思われ、行年銘は60〜65歳銘がみられます。
なぜか63歳の作銘には、この作品のように「行年」ではなく「行」と入っています。
この時期の作品の多くは桃葉銘の木地蒔絵の簡単な作品で、徳島藩士のために作ったと考えられます。
またそれらの中には由緒ある材木を使い、それを銘文に記したものが多くあります。
伝来 :
博覧多識で知られたウイリアム・W・ウィンクワース卿の旧蔵品で、
1978年にクリスティーズ、ニューヨークで売却され、
世界一の印籠コレクターだったエドワード・A・ランガム氏の所蔵となりました(蔵品番号1407)。
ランガム氏は叔父のウイリアム・ウィンクワース卿の旧蔵だったことから、
この印籠をことのほか愛蔵していた様子はを私自身に記憶に深く刻まれています。
そしてランガム氏の没後、2013年にボナムス社の
第4回ランガム・コレクションの売立で売却され、約70年ぶりにようやく日本に里帰りしました。
展観履歴 :
2019 東京富士美術館「サムライ・ダンディズム」展
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2006年 6月 6日UP
2026年 2月16日更新
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