飯塚 桃葉 初代
(いいづか とうよう) 1725?〜1790
撫子蒔絵菓子盆(なでしこまきえかしぼん)
飯塚桃葉(初代)作
製作年代 :
江戸時代中期
天明頃(circ1780)
法量 :
直径190mm×高25mm
鑑賞 :
撫子を研出蒔絵で表した菓子盆です。菓子盆は、茶席で干菓子を載せるため、
干菓子盆とも呼ばれます。
図様、技法ともに見事な出来栄えです。
意匠 :
撫子の花を2枝、円形の菓子盆の見込みに上手くデザインしています。
形状 :
円形で緩い傾斜の縁が付いた菓子盆です。
底面が畳に直接付かないよう、低い縁が廻っています。
技法 :
・欅の挽物の木地に、全体に布着せを行った入念な下地です。
・全体に表も裏も淡梨子地としています。梨子地粉は粗密2種類が蒔かれています。
・全体をすべて研出蒔絵で表しています。
白い撫子の花は銀粉で、斑は古代朱の漆絵で表現しています。
赤い撫子の花は朱金で、花弁の重なりの濃淡の表現のために研切蒔絵にしています。
暗い部分は墨粉と朱の乾漆と金粉を混ぜて蒔いています。
雌しべは、青金粉で細く引かれています。花の表現が非常に見事です。
・枝と葉は焼金粉と青金粉を蒔いています。
葉脈は描割りで、また折れ返る葉の表裏は金粉の密度を変えることによって表しています。
・釦は金地です。
作銘 :
底部下中央に、初代飯塚桃葉による焼金粉蒔絵で流麗な花押だけがあります。
花押だけの作品は他に例がありません。
もともとが5枚組の1枚であったために、号を略したとも考えられます。あるいは
注文者に遠慮して小さく花押のみにしたとも考えられます。
外箱 :
この菓子盆は春正の外箱に収められて、
長らく山本春正の作品だと思い込まれていました。
茶道具商の仕業でしょう。
画題が撫子であったことから、東京国立博物館所蔵の「撫子蒔絵硯箱」を連想し、
丁度良い春正の菓子盆の外箱を見つけて仕込んだと思われます。
よく見ると表書の「撫子蒔画/干菓子盆」の「撫子」の部分は、もともとあった字を消して、
上に書かれた痕跡があります。
大正〜昭和初期のことだと思いますが、
この箱に仕込んだ人は、作品の花押が桃葉のものだということを知らなかったのでしょう。
もちろん代も判らない春正よりも飯塚桃葉の方が遥かに格上ですし、稀少性もあります。
しかし、山本春正と思い込んで、現代まで大事に伝えられたことを思えば、
一概に責める訳にもいきません。
伝来 :
国内に伝来し、1997年に出現しました。
展観履歴 :
2022 国立能楽堂資料展示室「秋の風 能楽と日本美術」
芒蒔絵煙草盆
(すすきまきえたばこぼん)
飯塚桃葉(初代)作
製作年代 :
江戸時代中期 宝暦14年(1764)〜寛政2年(1790)頃
法量 :
縦174mm×横272mm×高212mm
鑑賞 :
全体に研出蒔絵で秋の芒野を表した煙草盆です。
外側は地味ですが、引出し内部は金梨子地とした豪華なものです。
銀製の火屋には、徳島藩主蜂須賀家の定紋「丸に左卍紋」の透かし彫があり、
藩御用蒔絵師の飯塚桃葉に製作させたことが明らかな作品です。
また近代まで蜂須賀侯爵家に伝来していた基準作品でもあります。
意匠 :
側面に風になびく芒を描いています。
引出しの鐶の座金金具は枝菊、火屋・灰落し・提手の銀金具は菊唐草で、台座は菊尽くしの意匠です。
また火屋には蜂須賀家の定紋「丸に左卍紋」が据えられています。
形状 :
長方形で、天板に火屋・灰落しを据えるため、上部に空間を空けて側面に窓を設けた、
飯塚桃葉独特の提げ煙草盆の形状です。
前面の下部に4つの引出しがあり、上部に煙管掛けが設けられています。
技法 :
・総体に淡蒔きの金平目地とし、風になびく芒を、焼金・青金・銀粉による研出蒔絵としています。
天板と上部は玉梨子地で、角部は唐戸面取として金粉溜地にしています。
・引出し内部は金梨子地で、釦は金地です。引出しの鐶は銀製で座金は菊の容彫です。
・火屋と灰落し、提手は菊唐草の毛彫りで、火屋には「丸に左卍紋」の透し彫りがあります。
火屋と灰落しの台座は銀製で菊尽しの高彫です。
作銘 :
背面右下に「觀松斎(花押)」の蒔絵銘があります。
「観松斎」銘は、主家である藩主蜂須賀家の注文品のみに入れられる銘です。
外箱 :
桐製、掻合黒漆塗の外箱が附属しています。
伝来 :
火屋に主家である、蜂須賀家の「丸に左卍紋」があることから、蜂須賀家の注文品であることが明らかです。
また近代まで蜂須賀家に所蔵されていたことが史料からも判明しています。2012年に発見しました。
展観履歴 :
2021 国立能楽堂資料展示室「日本人と自然 能楽と日本美術」
2022 国立能楽堂資料展示室「秋の風 能楽と日本美術」
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飯塚 桃葉 2代
(いいづか とうよう) 1766?〜1844?
香道具蒔絵鏡蓋根付
(こうどうぐまきえかがみぶたねつけ)
飯塚桃葉(2代)作
製作年代 :
江戸時代中期 天明頃(1781〜1788)
法量 :
直径40mm×厚14mm
鑑賞 :
香道具を意匠とした格調高い作品で、2代飯塚桃葉による部屋住み時代の初期作です。
徳島藩主蜂須賀家の特注品で、兎手有栖川錦の巾着と白珊瑚の緒締が取り合わされています。
明治15年(1882)、第3回観古美術会に侯爵蜂須賀茂昭が出品した名品です。
西国の国主大名家における嚢物の習俗を知る上でも貴重です。
意匠 :
香道具の意匠で、鳥蝶蒔絵の阿古陀形香炉と香包を配しています。
香包は雲形の意匠で「九重」と書かれています。
形状 :
鏡蓋根付で、鏡板は銀板で、紐通は銀の輪が蝋付された珍しい形状です。
台は挽き物です。
技法 :
銀板の鏡板を金粉溜地とし、阿古陀形香炉と香包を高蒔絵にしています。
特に香炉の高蒔絵や火屋の表現は見事です。
作銘 :
鏡板の裏に毛彫銘があります。
2代飯塚桃葉は、桃枝から桃子と改号し、家督を相続して桃葉になっています。
桃枝銘は10代後半から20代前半までに作られた作品です。
時代背景を考えると部屋住時代に藩主家から注文されたことになりますので、
国許で隠居中の重喜ではなく、当主治昭からの注文と考えるべきでしょう。
附属品 :
有栖川錦の巾着、白珊瑚の緒締、「有栖川/兎織物」と墨書のある包紙が附属しています。
有栖川錦巾着 :
有栖川錦は、有栖川宮家に所蔵されていたことに由来するともされますが定かではありません。
特に兎手は他の馬や鹿と全く異なる生地です。
巾着はもともと火打石を入れましたが、江戸の終わりには、
装身具になっていたようです。
伝来 :
蜂須賀家の特注品で、同家に伝来し、
明治15年(1882)の第3回観古美術会に出品されました。
その後、蜂須賀家伝来の初代飯塚桃葉作「五十三次蒔絵印籠」、
白亀斎作「亀蒔絵印籠」の2点、巾着2点の計4点が共に伝来し、
2008年に市場に登場しましたが、行方不明となり、
2010年に再確認して、今回の公開となりました。
観古美術会 :
観古美術会は、当時工芸が衰退していたため、
明治維新以前の名品を集めて輸出工芸の振興を図る目的で
内務省博物局によって開催された国策レベルの古美術展です。
第2回展からは、上野天龍山生池院において結成された龍池会が引継ぎ、
第3回展には明治天皇が行幸し、その後総裁に有栖川宮熾仁親王を迎えました。
第7回展を最後に、龍池会は日本美術協会と改称し、美術展覧会へと発展しました。
第3回展は、明治15年(1882)4月1日から5月31日まで、
浅草本願寺で開催されました。侯爵蜂須賀茂昭は、狩野元信筆布袋図幅、
38点の印籠、3点の印籠巾着の合提、17点の名物裂を使用した巾着を出品しました。
本作品は出品目録の「有栖川兎手巾着」に該当します。
展観履歴 :
1882 龍池会「第3回 観古美術会」
2019 東京富士美術館「サムライ・ダンディズム」展
祖谷蔓橋蒔絵印籠
(いやのかずらばしまきえいんろう)
飯塚桃葉(2代)作
寸法 :
縦84mm×横64mm×厚21mm
製作年代 :
江戸時代後期 文政11年(1828)?
鑑賞 :
2代飯塚桃葉が晩年の63歳の時に作った印籠です。
平家落人伝説で有名な阿波の秘境に架かる「祖谷の蔓橋」の藤蔓の材を使い、
画題も同じ「祖谷の蔓橋」として木地蒔絵にした、
極めて興趣に富む印籠です。
ウイリアム・W・ウィンクワース卿(1897〜1991)、
エドワード・A・ランガム氏(1928〜2009)の旧蔵を経た名品です。
根付には梅蒔絵饅頭根付、緒締には胡桃実を取り合わせています。
意匠 :
祖谷の蔓橋
は、平家落人伝説のある阿波国西部の秘境、
祖谷溪谷に架かる吊橋で、現在では国の重要有形民俗文化財に指定されています。
この「祖谷の蔓橋」が印籠の表裏に表され、柴を背負った樵夫2人が渡る様子が描かれています。
桃葉の取材銘には「於」の字の有無が意識されており、桃葉が現地に行ったことは確実です。
2代飯塚桃葉の生没年は不明ですが、63歳の
桃葉が私的にこの辺境の地まで旅行することは考えがたいことです。
文政11年(1828)9月24日、徳島藩主蜂須賀斉昌は祖谷橋巡見を行い、
藩御用絵師の渡邊廣輝も随行して墨画「蔓橋老松図」を描いています。
2代飯塚桃葉も随行して、この材を取材した可能性が高いと考えられます。
私が、2代桃葉の生年を1766年と推定する根拠の一つとしている資料でもあります。
形状 :
常形2段の印籠です。最下段を深くしています。
技法 :
・祖谷橋の藤蔓の芯近くを刳り貫いて、印籠の素地としています。
立上がりは紫檀を刳り貫いて作り、各段に嵌め込んでいます。
・目の粗い素地に、木地蒔絵の手法で高蒔絵としています。
樵夫などは、顔の表情まで描いています。
作銘 :
底部に「取材於柤谷橋之/藤蔓/行六十三/桃葉(花押)」と蒔絵銘があります。
この花押は50歳代後半から使ったと思われ、行年銘は60〜65歳銘がみられます。
なぜか63歳の作銘には、この作品のように「行年」ではなく「行」と入っています。
この時期の作品の多くは桃葉銘の木地蒔絵の簡単な作品で、徳島藩士のために作ったと考えられます。
またそれらの中には由緒ある材木を使い、それを銘文に記したものが多くあります。
伝来 :
博覧多識で知られたウイリアム・W・ウィンクワース卿の旧蔵品で、
1978年にクリスティーズ、ニューヨークで売却され、
世界一の印籠コレクターだったエドワード・A・ランガム氏の所蔵となりました(蔵品番号1407)。
ランガム氏は叔父のウイリアム・ウィンクワース卿の旧蔵だったことから、
この印籠をことのほか愛蔵していました。
そしてランガム氏の没後、2013年にボナムス社の
第4回ランガム・コレクションの売立で売却され、約70年ぶりにようやく日本に里帰りしました。
展観履歴 :
2019 東京富士美術館「サムライ・ダンディズム」展
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2006年 6月 6日UP
2024年 9月26日更新
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