岩崎 交玉 (いわざき こうぎょく) 1827〜1900頃
富士蒔絵印籠(ふじまきえいんろう)
岩崎交玉作 谷文晁原画 市河寛斎書
製作年代 :
明治時代中期
(circ.1890)
法量 :
縦81mm×横52mm×厚18mm
鑑賞 :
表は谷文晁による墨絵風の富士山を銀地に、
裏が黒地に和歌という、奇抜な発想です。明治中期の作ですが、
江戸趣味を極限まで洗練して昇華させた傑作と言えます。
印籠の富士で「雪」、水晶の緒締めで「月」、根付の桜で「花」とし、
「雪月花」の取り合わせとしています。
意匠 :
谷文晁原画の富士図で「行年七十七歳文晁」の落款があります。
これは天保10年(1839)にあたります。
文晁は交玉の師原羊遊斎と親交があり、
下絵も提供していたことはよく知られています。
しかしこの年は交玉が13歳で羊遊斎に入門した年であり、
この年に制作されたとは当然考えられません。
恐らく明治の中ごろになって、入門当時を思い起こし、
記念碑的な意味をこめて製作したと思われます。
裏には、 春の花 名にほふ月のひかりさへ 及はぬ布しの 雪に見るかな 寛斎
という和歌があります。これは書家市河寛斎の書と考えられています。
形状 :
常形、隠し紐通し四段の印籠です。
技法 :
・黒蝋色塗地の印籠の表のみを銀粉溜地とし、
谷文晁の下絵の富士山を研切蒔絵で表しています。
裏面は、黒蝋色塗地に和歌を青金の研出蒔絵としています。
・内部は金梨子地になっています。
作銘 :
印籠の底部に「交玉」の蒔絵銘があります。
伝来 :
長崎千里(1858〜1916)の旧蔵品です。長崎は魚津の病院長で、日本漆工会の会員でした。
長崎は所蔵の印籠を日本漆工会や漆工競技会に度々参考品として出品しました。
没後の大正5年(1916)11月20日に東京美術倶楽部で行われた売立では、遺愛の印籠36点が出品されています。
その際の売立目録「某華族家御所蔵長崎氏遺愛品入札目録」の561番「交玉作銀地文晁下繪印籠」に該当します。
展観履歴 :
1999 五島美術館「羊遊斎」展
2002 国立歴史民俗博物館・岡崎市立美術館「男も女も装身具」展
2019 東京富士美術館「サムライ・ダンディズム」展
2020 国立能楽堂資料展示室「日本人と自然 能楽と日本美術」
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葛蒔絵煙管筒(くずまきえきせるづつ)
岩崎交玉作
製作年代 :
明治時代前期
(circ.1880)
法量 : 長212mm×幅30mm×厚19mm
鑑賞 :
桐材を刳抜鞘にして葛を木地蒔絵にしたもので、一見簡素に見えながら、
下半分を片身替で刑部梨子地とした贅沢な煙管筒です。
瑪瑙の緒締と加納夏雄作牧童前金具の金唐革煙草入を取り合わせています。
意匠 :
木地と刑部梨子地を片身替とし、そこに葛を配しています。
葛は虫喰いの穴までも表現し、蔓がゆるく伸びた
江戸琳派風の画風です。
形状 :
一般的な男性用の煙管筒で、紐通は赤銅金具で鳩目は金無垢になっています。
技法 :
素地はよく目の通った桐柾材を薄く刳り抜いて、内筒、外筒を作っています。
桐は砂擦で木目を浮き出立せて拭き漆をし、
下半分は斜めに区切って刑部梨子地としています。
葛の葉は黒石目にしたり、洗出しにするなど技巧を凝らしたものです。
金具は赤銅地に金無垢の鳩目としています。
作銘 :
小尻部に「交玉(花押)」の蒔絵銘があります。花押は原羊遊斎と同じものです。交玉の作品で、
羊遊斎の花押を添えたものは他に2例を確認しており、
岩崎交玉が原羊遊斎の門人であったことを強く意識していたことが窺えます。
伝来 :
国内に伝来し、2012年に発見しました。
展観履歴 :
2022 国立能楽堂資料展示室「秋の風 能楽と日本美術」
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2006年 8月 1日UP
2023年 7月15日更新
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