梶川 常巖 (かじかわ じょうがん) ?〜1711
菊壽蒔絵印籠 (きくじゅまきえいんろう)
梶川常巖作
製作年代 :
江戸時代中期
元禄末頃(circ.1700)
法量 :
縦90mm×横45mm×厚29mm
鑑賞 :
徳川将軍家の御蒔絵師で、梶川家の初代、梶川常巖作と考えられる「菊壽蒔絵印籠」です。
菊壽意匠の印籠は、5代将軍徳川綱吉の御好の印籠です。
将軍綱吉から、側近の大名、旗本等に下賜された事例が数多く確認されます。
この印籠は、将軍綱吉の奥詰を勤めた島原藩主松平忠雄の三河本光寺墓所より
2009年に発掘された「菊壽蒔絵印籠」
と極めて近い作品であり、
常憲院時代蒔絵の印籠として貴重です。
瑪瑙の緒締と木彫菊根付が取り合わされています。
意匠 :
菊壽意匠の印籠は、5代将軍徳川綱吉の御好形です。
表裏の中央に朱の「壽」字が据えられ、周りから天・地まで、
十六弁の菊が散らされています。
菊紋の描法と配置は本光寺より出土の松平忠雄所用の「菊壽蒔絵印籠」
とほとんど同じです。
「壽」字は同作品より僅かに下に配置されています。
形状 :
江戸形、5段の印籠です。
本光寺から出土した松平忠雄所用の印籠に比べて、
天地の甲盛が若干低く、
松平忠雄所用のものより、わずかに年代が下がるものと考えられます。
技法 :
総体黒蝋色塗地に高蒔絵で表現されています。
「壽」字はやや高上げをして赤口の朱漆で仕上げています。
菊紋は黒漆で十六弁の花弁を高上げし、蘂の細い線を金の付描で描いています。
この手法は、本光寺より出土の松平忠雄所用の「菊壽蒔絵印籠」
と全く同じです。
段内部は金梨子地で、釦は平蒔絵としています。
釦の金粉まで上質の丸粉を使用していることも、
松平忠雄の印籠と共通した特徴です。
作銘 :
印籠に作銘を入れる習慣がなかった元禄期のもので、無銘ですが梶川常巖作と考えられます。
菊壽印籠 :
菊壽印籠については、平戸藩主松浦静山の随筆「甲子夜話」に、
静山がかつて所有していた印籠の1つとして
「平形、黒塗。寿字朱蒔絵、菊花金にて。これは世に憲廟の御かたと称す。
憲廟御佩の物より流伝せしなりき」との記述があります。
松浦家では3代続けて5代将軍綱吉の奥詰を勤めており、
将軍綱吉からの拝領品として伝存していたのでしょう。
奥詰を勤めた鳥羽藩主稲垣家にも、
先祖の稲垣重富が5代将軍綱吉から拝領したとされる「菊壽蒔絵印籠」が伝来していました。
『寛政重修諸家譜』には、飯田藩主で御小姓の堀親常、
能登西谷藩主で御小姓並の水野勝長、
御小納戸の旗本藤澤次政、広敷用人の旗本上野景包、
奥医師の竹田定快の履歴に5代将軍綱吉から
菊壽の印籠が下賜されたことが記されています。
また5代将軍綱吉の側用人を務めた牧野成貞を祖とする
笠間藩主牧野家の売立目録
「旧華族家御蔵品展観入札」(大正8年5月26日)
の写真でも古様に巾着と合提にした同様の「菊壽蒔絵印籠」を確認できます。
菊壽意匠の印籠は、江戸後期まで100年以上梶川家で作り続けられ、
在銘の作品もありますが、菊紋の表現には様々な変化が見られます。
しかし壽字は全く同じ書体のまま受継がれています。
伝来 :
不明ですが、国内にあったものです。2013年に新たに発見しました。
展観履歴 :
2019 東京富士美術館「サムライ・ダンディズム」展
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梶川家 (かじかわけ)
丸龍蒔絵印籠(がんりゅうまきえいんろう)
梶川作
製作年代 : 江戸時代後期
文化頃(circ.1800)
法量 :
縦57mm×横41mm×厚20mm
鑑賞 :
小ぶりな印籠に丸龍を肉合研出蒔絵で緻密に表しています。
合口部に青金板を嵌め、段内部も青金粉溜地に段数の数字を青金の平文で表すなど、
豪勢で珍しい趣向の印籠です。
珊瑚珠の緒締と銀製龍彫鏡蓋根付が取り合わされています。
意匠 :
雲龍を丸文とした丸龍の意匠としています。龍の口は、表裏で阿吽になっています。
形状 :
常形4段の印籠で、天地は平らになっています。
印籠の合口は、見えないほど良いとされますが、
この印籠ではその精度の高い合口部に、わざわざ段の切れ目が目立つように
厚い青金板を食み出るように嵌め、各段で上下2枚の金板の断面が光っています。
技法 :
黒蝋色塗に淡蒔きの金平目粉地とし、丸龍はやや高上げして焼金と青金の肉合研出蒔絵で表しています。
雲や龍には細かい切金を置き、龍の鱗は驚くべきことに緻密に描割りです。
引掻きにすれば簡単ですが、あえて描割りにして技を誇っているようです。
隙間には細長い野毛状の青金の切金も置かれています。
内部は青金粉溜地で、蓋裏、各段の裏、最下段の身内見込に「一」「二」「三」「四」「五」の文字を青金の金貝から切抜いて貼り付けた
平文の技法にしており、青金粉溜地と同じ高さに研ぎ出しています。極めて高い技術です。
また合口部には厚い青金板を切り抜いて嵌めてあり、かえって絵様を見ずらくしています。
青金金貝の数字や、合口部の青金板は、金が極めて貴重であった時代に全く無意味な貴金属の使い方です。
注文者からの高額な注文に対して、作者が皮肉の念を込めつつ、
技を誇って応じたものと考えられます。
作銘 :
身の底部左下に「梶川作」の蒔絵銘と朱漆で「栄」と壺形印が書かれています。
このタイプの銘文は寛政・文化頃の作品に見られます。
伝来 :
2022年に国内で出現しました。
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雲錦蒔絵鞘印籠(うんきんまきえさやいんろう)
梶川作
製作年代 : 江戸時代後期
文化頃(circ.1800)
法量 :
縦45mm×横34mm×厚16mm
鑑賞 :
江戸期のミニチュアの鞘印籠で、桜と紅葉の雲錦模様としています。
将軍家御蒔絵師梶川家によって作られた精緻な作品で、
大切にされて無傷で現在まで伝えられています。
珊瑚の緒締と紅葉高蒔絵の箱根付(大正頃の後補)が取り合わされています。
意匠 :
身と鞘のそれぞれに
春の桜と秋の紅葉を描いて雲錦模様としています。
形状 :
鞘印籠は薬をいれる「身」と紐通が付いた
「鞘」からなる構造です。この印籠では、「身」は2段で、「鞘」の上部から差し込みます。
江戸期の鞘印籠では、このように鞘に明けた窓から身の意匠を覗かせるものが多く見受けられます。
技法 :
身は黒蝋色塗地に雲に桜を焼金・青金・銀粉の研出蒔絵とし、雲には細かい切金を置いています。
内部は朱漆塗で、立ち上がりは金粉溜地です。
鞘は黒蝋色塗地に焼金・青金・銀粉を雲形に研出蒔絵とし、高蒔絵で紅葉を散らしています。
作銘 :
身の底部左下に「梶川作」の蒔絵銘と朱漆で「栄」と壺形印が書かれています。
このタイプの銘文は寛政・文化頃の作品に見られます。
姫印籠 :
一般的に、成人男子の装身具としては実用にならない小印籠は、
姫印籠と総称されています。現存している姫印籠の大部分は、大正・昭和初期に作られたものです。
それらは5cm前後の大きさです。
当時、花柳界で芸妓などが胸元に提げていたという多くの証言があります。
しかし飯塚桃葉・原羊遊斎・中大路茂栄・池田泰真など
江戸期に作られた姫印籠もごく少数現存しています。
江戸期の姫印籠の用途はよく判っていませんが、
愛玩品、若君用、人形の装飾品、雛道具などと考えられています。
展観履歴 :
2019 東京富士美術館「サムライ・ダンディズム」展
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竹雀蒔絵文箱 (たけにすずめまきえふばこ)
梶川作
製作年代 : 江戸時代末期
天保〜嘉永頃(circ.1850)
法量 :
縦222mm×横56mm×高46mm
鑑賞 :
幕末の梶川家による実用的な文箱です。
黒蝋色塗地高蒔絵で竹雀を、
蓋裏には波千鳥を表しています。
意匠 :
蓋甲には、草体で「竹に雀」を表しています。蓋見返しの「波に千鳥」は、
現代のアニメキャラクターや「ゆるきゃら」にも通じるユーモラスな千鳥で、
渦波もあまり例をみない表現です。謹厳な外側に対し、
くだけた内側という対比におかしさがあります。
形状 :
長方形で印籠蓋造で、置き口には玉縁を作り、蓋の角には面を取っています。
実用的な革バンドで、銀製の金具で掛けるようになっています。
江戸後期以降の実用的な文箱には、しばしば見られます。
技法 :
・全体を黒蝋色塗にして部分的に淡く梨子地にしています。
竹は焼金粉の高蒔絵で、雀は焼金粉の平蒔絵でその上の付描に赤銅粉を使っているのは、
幕末期らしい工夫です。
・蓋見返しは淡平目地で、上段の渦水を焼金粉と下段の渦水を青金粉の研出蒔絵としています。
千鳥は焼金粉、青金粉の高蒔絵と、青金金貝の極付の3種類で表して、変化をつけています。
・見込と立上がりは錫梨子地とし、釦は、金消粉を蒔いています。
・底部は錫梨子地です。
作銘 :
蓋見返し左下に「梶川作」と蒔絵で、朱漆で「栄」と壺形の印が書かれています。「作」の字の横棒に縦棒が一本余計にあるところが見所です。
同じタイプの銘文は尾張藩主徳川家に伝来し、徳川美術館に所蔵される印籠に多く見られます。
伝来 :
伝来は不明です。2013年に国内で発見されました。
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菊蒔絵棗 (きくまきえなつめ)
梶川作
製作年代 :
江戸時代末期
天保〜嘉永頃(circ.1850)
法量 :
直径67mm×高70mm
鑑賞 :
幕末の梶川家による棗です。
黒蝋色塗地に高蒔絵と極付で様々な菊花を表しています。
意匠 :
合口を避けて、様々な菊花やその蕾・葉を全体に描き詰めた棗です。
形状 :
利休形の中棗です。
技法 :
・挽物の素地に、全体を黒蝋色塗とし、
高蒔絵と金貝の極付としています。
花弁や葉は焼金粉と青金粉を蒔き暈し、細部は付描や描割で表しています。
内側も黒蝋色塗地で、釦は金地としています。
作銘 :
蓋見返し中央下に「梶川作」と蒔絵で、朱漆で「栄」と壺形の印が書かれています。
普通は底部に銘書がなされますが、蓋裏に作銘があるのは極めて稀な例です。
同じタイプの銘文は尾張藩主徳川家に伝来し、徳川美術館に所蔵される印籠に多く見られます。
仕覆 :
金糸入りの間道の仕覆に納められています。
外箱 :
桐製印籠蓋造の箱に納められています。蓋甲に「喜久棗」と墨書があり、
貼札が2枚あります。
伝来 :
伝来は不明です。2020年に国内で発見されました。
展観履歴 :
2022 国立能楽堂資料展示室「秋の風 能楽と日本美術」
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2008年 7月25日UP
2024年 1月 1日更新
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