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  •  古満 寛哉 初代(こま かんさい) 1767〜1835

    全体表写真

    芙蓉蒔絵櫛
    (ふようまきえくし)

     古満寛哉(初代)作

     製作年代 : 江戸時代後期 
    文政頃(circ.1820)

     法量 :
    縦42mm×横112mm×厚4mm

     鑑賞 :
    全体写真 初代古満寛哉による鼈甲地高蒔絵の豪華な挿し櫛です。寛哉の櫛類で現存するものは極めて稀です。

     意匠 :
    表裏に写実的な芙蓉の花をデザインしています。

     形状 :
    角形櫛で、 拡大写真 この時代としては標準的な大きさです。

     技法 :
    鼈甲地に焼金、青金、銀の高蒔絵としています。花は芯の模様を銀地 研切蒔絵として付描で表しています。 葉と茎は焼金粉に青金粉を交え、洗い出しとしているところもあります。 葉脈は付描で、蕾みは描割にしています。洗い出しにする手法は、柴田是真が得意とするところです。 この表現の源流が師の寛哉にあったことが如実にわかる作品です。

     作銘 :
    銘拡大写真 裏面に「寛哉」と蒔絵銘があります。櫛笄類はほとんどが2字銘です。

     伝来 :
    国内に伝来し、2017年に京都で発見されました。


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    稲穂蒔絵印籠
    (いなほまきえいんろう)

     古満寛哉(初代)作

     製作年代 : 江戸時代後期
    天保4年(1833)

     法量 :
    縦86mm×横51mm×厚20mm

     鑑賞 :
    風になびく稲穂を研出蒔絵で表現した作品です。簡明な表現でありながら、古満寛哉晩年の傑作です。 緒締は金工、根付は象牙金工の月雲雁を取り合わせています。

     意匠 :
    表裏ともに、たわわに実り、風にそよぐ稲穂を表しています。根付と併せて「稲穂に雁」としています。

     形状 :
    小判形四段の印籠です。幕末の小判形の印籠と異なり、肩が張った独特な形となっています。

     技法 :
    焼金粉溜地に総研出蒔絵としています。 上方の稲穂は青金粉、下方は焼金粉で、稲の実は引掻きとしています。 一見、簡単な作品に見えますが、 引掻きとしながらしかも研出蒔絵とした2倍のリスクを乗り越えた作品で、 寛哉の自信の程が伺えます。重なる稲穂を 表現した技術は、極めて高度です。 また稲の葉の鋭さ、蒔き暈しの巧妙さなど非凡な才能が感じられます。
     印籠段内部は豪華な刑部梨子地です。

     作銘 :
    底部に大字で「行年六十七/坦哉造」との自身銘があります。 印籠銘写真 67歳は、天保4年(1833)にあたります。 寛哉は剃髪して坦哉または坦叟と号しましたが、 坦哉銘は少なく、今のところ他に2点しか確認されていません。

     伝来 :
    長らくイギリスにあり、1992年に日本に里帰りしました。

     展観履歴 :
    1999 五島美術館「羊遊斎」展
    2003 京都文化博物館・福島県立博物館「男も女も装身具」展

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     古満 寛哉 2代 (こま かんさい) 1797〜1857

    十二支蒔絵印籠 (じゅうにしまきえいんろう)

     古満寛哉(2代)作 全体表写真

     製作年代 : 江戸時代末期
    天保〜安政頃(circ.1850)

     法量 :
    縦81mm×横59mm×厚20mm

     鑑賞 :
    2代古満寛哉の印籠の最高傑作です。金工象嵌 と緻密な高蒔絵で十二支を表現した作品です。 根付には古満安匡作「龍蒔絵根付」、緒締は古渡珊瑚を取り合わせています。

     意匠 :
    十二支の意匠で、表に子・丑・寅・卯・辰・巳を、裏に午・未・申・酉・戌・亥を振り分けています。 未は羊でなく、山羊が描かれています。この時代には、しばしばあることです。「十二支蒔絵印籠」 は父の初代古満寛哉が作っており、 東京藝術大学大学美術館 に所蔵されています。 恐らく下絵が残っていたのでしょう。 牛の構図は初代寛哉のものと全く同じです。 他の動物は全て変えています。

     形状 :
    昔形四段の印籠で、標準的な大きさです。

     技法 : 表拡大写真
    ・完璧なまでに研ぎ上げられた金粉溜地に、金工象嵌と高蒔絵です。 蒔絵がすべて出来上がってから象嵌する部分を形に沿って彫り込み、象嵌しています。 鼠は銀容彫に金象嵌、虎は朧銀容彫に金象嵌、兔は金容彫、蛇は朧銀容彫に金象嵌、 猿は朧銀地容彫素銅象嵌、鶏は赤銅容彫に金象嵌、犬は赤銅容彫に金象嵌 猪は朧銀容彫に金象嵌です。無銘ですが装剣金工師の巧手の手になるものでしょう。
    ・龍は高蒔絵で鱗を一枚一枚立体的に形作っています。馬は青金高蒔絵で、山羊は高蒔絵で毛並を毛彫りしています。 この作品の見所は赤銅粉高蒔絵の牛です。他の多くが金工を象嵌したものであるため、 一見赤銅容彫象嵌に見えますが、実は赤銅粉の高蒔絵に 毛並みを片切彫で表わしています。 特に牛の尾の表現は蒔絵筆によるものですが、人間業とは思えないほど見事です。 また全ての高蒔絵は、高上げの肉取りが非常に優れています。
    ・内部は豪奢な刑部梨子地に仕立てられています。

    裏拡大写真  作銘 :
    蓋裏に「古満寛哉(花押)」と蒔絵銘があります。 2代寛哉の印籠の上作は、必ずこうした蓋裏の隠し銘であり、 最上作では内部を豪奢な刑部梨子地にして、 蓋裏に蒔絵銘として、さらに花押も添えています。

     伝来 :
    20世紀初頭のアメリカの印籠コレクター、 ウィリアム・デュ・ポンド氏の旧蔵品で、1995年に日本に里帰りしました。

     展観履歴 :
    1999 五島美術館「羊遊斎」展
    2002 国立歴史民俗博物館・岡崎市美術博物館「男も女も装身具」展






    全体裏写真 全体表写真 

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    印籠内部写真 印籠銘写真

















    嵯峨桐文蒔絵棗 全体写真
    (さがぎりもんまきえなつめ)

     古満寛哉(2代)作

     法量 :
    直径69mm×高59mm

     製作年代 : 江戸時代末期
    天保〜安政頃(circ.1850)

     鑑賞 :
    肥松(こえまつ)木地の棗で、焼金粉と赤銅粉を使い、嵯峨桐文を木地蒔絵としています。 侘びた雰囲気ですが、献上品と思われます。

     意匠 :
    このように葉が垂れ下がり、多くの蕾を付けた桐紋は、一般的に嵯峨桐紋、 あるいは文様として嵯峨桐文と呼ばれています。 京都の嵯峨、清涼寺に伝わった嵯峨桐金襴に起源すると云われています。

     形状 :
    直径よりも高さが低い平棗で、小ぶりなものです。茶箱用に作られた可能性があります。

     技法 :
    ・肥松を、立ち上がりも含めて、挽物としています。 通常、松はヤニが出るため、白木の作品に使うことは嫌われますが、 美しい木目と侘びた色を見せるために、 わざわざこのように格の低い木を使うこともあります。
    ・蓋甲の嵯峨桐文は焼金粉を使った高蒔絵としています。 中央の葉には粗い焼金粉を使っています。 胴部の嵯峨桐文は赤銅粉を使った高蒔絵としています。 赤銅粉蒔絵は焦げ茶色がかった黒を表現することができます。 これらの蒔絵はいわゆる木地蒔絵です。 木地蒔絵は通常木地を汚さないように錫金貝で全体を覆い、文様部分を切り抜いて蒔絵し、完成後に錫金貝を剥がします。 この作品では錫金貝を貼った形跡は全くなく、非常に手際よく肉を持たせて高上げした高蒔絵として仕上げられています。

     作銘 : 全体写真
    底部の左に、焼金蒔絵で流麗な花押だけがあります。 高貴な注文者のために、作銘を控え、 花押のみ入れたものと考えられます。

     伝来 :
    国内に伝来し、2007年に出現しました。外箱もなく、茶箱用に作られた可能性もあります。













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     古満 文哉 (こま ぶんさい) 1811〜1871

    全体表写真

    柴舟蒔絵印籠
    (しばふねまきえいんろう)

     古満文哉作

     製作年代 :
    江戸時代末期 

     法量 :
    縦44mm×横41mm×厚15mm

     鑑賞 :
    本阿弥光悦作とされる「柴舟蒔絵印籠」を、初代古満寛哉の次男、古満文哉が模写した 琳派風の小振りな印籠です。
     鉛、螺鈿の象嵌に平蒔絵としています。 柴田是真も同じ印籠の模作をいくつか残しています。
    表写真 裏写真  黒檀製楼閣彫の根付と、 珊瑚珠の緒締2つ、銀磨地に鹿片切彫の緒締、 八百善亀甲更紗の巾着が附属した合提に仕立てられています。
     根付以外は昭和4年(1929)に東京美術倶楽部で行われた の浅見家売立以来そのままの取り合わせで残っています。

     意匠 :
    荒れた波間に、柴を積んだ小舟、いわゆる「柴舟」が浮かぶ意匠です。 内部写真 琳派にしばしば見られる意匠で、 『源氏物語』宇治十帖の「浮舟」に取材したものとも考えられます。

     形状 :
    小型で、ほぼ正方形の角印籠に紐通が付いた、3段の印籠です。 天地は平らになっており、琳派の印籠に見られる、独特な形状です。

     技法 :
    黒蝋色塗地に平蒔絵で波文を表わし、柴は鉛板を象嵌した上に付描で、 舟は厚貝の螺鈿で表しています。
     印籠の段内部は、艶の無い金地に仕立てられています。 こうした金地の段内部は琳派の印籠に独特なもので、 忠実に本歌を写したものと考えられます。

     作銘 :
    蓋裏に「光悦作/文哉寫」と針彫銘があります。 金地の段内部で、蓋裏に針彫で銘を入れるのも、尾形光琳などの印籠に見られるものです。 本歌は無銘と考えられますが、尾形光琳の印籠銘に倣って「光悦作」と銘書したと考えられます。

     伝来 : 武井男爵旧蔵 古満寛哉作
「柴舟蒔絵印籠」
    昭和4年(1929)4月8日に東京美術倶楽部で行われた『浅見家所蔵品入札』 に古満寛哉(2代)作「桐花唐草蒔絵印籠」・原羊遊斎作「薮柑子蒔絵印籠」・飯塚桃葉「蝶蒔絵印籠」 などと併せて小印籠5点を1ロットにして出品され、440円で落札されています。

     展観履歴 :
    1999 五島美術館「羊遊斎」展

     製作背景 : 柴田是真作「柴舟蒔絵印籠」 籾山家売立目録 1919年
    同趣の印籠は2代古満寛哉も作っています。 武井男爵のコレクションでしたが、現在所在不明です。
     また柴田是真も全く同図の印籠を少なくとも4点は作っています。 大正7年(1918)の松澤家の売立と大正8年(1919)の籾山家の売立に出ている印籠 は共箱で、やはり「光悦寫」だったことがタイトルからわかります。
     金工家、香川勝廣が所蔵していた 柴田是真作「柴舟蒔絵印籠」については、より詳細に記録があります。まず『漆器図録』 に模写図があります。そこには「本阿弥家蔵光悦作是真寫」と注記があり、 印籠の底には楕円の中に是真の銘があります。 大正6年(1917)の香川勝廣の売立目録には写真もあり、やはり共箱だったことがわかります。 おそらく「本阿弥家蔵光悦作是真寫」は共箱に書いてあるのでしょう。この印籠は現存し、 メトロポリタン美術館 に入っています。
      これらのことから想像されるのは、古満寛哉(2代)・古満文哉・柴田是真の3人で本阿弥家に行き、 本阿弥光悦作と伝えられる印籠を見たのでしょう。 柴田是真作「柴舟蒔絵印籠」 『漆器図録』1914年 模写図を作り、 それぞれに翻案作品・模写作品を作ったのではないかと考えられます。 柴田是真作「柴舟蒔絵印籠」 香川勝廣売立目録 1917年











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    2007年12月 6日UP
    2017年10月22日更新