古満 寛哉 初代(こま かんさい) 1767〜1835
松竹梅蒔絵高坏
(しょうちくばいまきえたかつき)
法量 :
径192mm×高82mm
製作年代 :
江戸時代後期 文化頃(circa1810)
鑑賞 :
白檀塗の地塗に、
染織の松竹梅の意匠を蒔絵のモチーフにした異色の作品です。
菓子器として使われたと考えられます。
意匠 :
銘文によれば上代の染織の松竹梅を意匠としています。
松は幹に鹿の子模様があり、竹は5枚と7枚の竹葉、梅は表・裏・横の梅を散らしています。
鹿の子模様に染織らしいところが見受けられます。
形状 :
見込みの深い鉢に低い足が付いた高坏です。
技法 :
・挽物を黒蝋色塗とし、部分的に破いた金箔を貼って散し、その上に梨子地漆を塗って、白檀塗を地塗にしています。
・その上に松竹梅を焼金、青金、四分一粉の高蒔絵としています。
・松の幹の鹿の子模様は、高上げ後に上絵を研出蒔絵で表しています。
松の葉叢は1つが金、1つが四分一粉の石目にしています。
・竹は青金粉の高蒔絵に焼金の付描。
・梅は焼金の高蒔絵、愕は青金高蒔絵になっています。
作銘 :
底部に「上代染/松竹梅/白知寛哉冩」の蒔絵銘があります。
「白知寛哉」銘は、他に「亀蒔絵盃」と「亀蒔絵菓子器」が現存しています。
「亀蒔絵盃」には文化7年の年紀銘がありますので、
初代古満寛哉が40歳前後に使った別号と考えられます。
伝来 :
国内にあったようで、2012年に確認しました。
↑先頭に戻る
作者について知る⇒
上野桜蒔絵印籠 (うえののさくらまきえいんろう)
古満寛哉(初代)作
製作年代 : 江戸時代後期
文政頃(circa1820)
法量 :
縦73mm×横48mm×厚17mm
鑑賞 :
浅草蔵前の札差で、俳諧の大家だった
夏目成美(1749〜1817)の「上野にて 宮さまもおよらぬさうな花に風 成美」
の俳句と桜を両面に表した印籠です。初代古満寛哉が非常に高度な技術で、
しかも瀟洒に仕立てた江戸情緒あふれる印籠です。当時の粋人の特注品でしょう。
古渡珊瑚の緒締と鈴木美彦作「水月桜鏡蓋根付」を取り合わせています。
意匠 :
夏目成美の「上野にて 宮さまもおよらぬさうな花に風」
との俳句を表しています。当時、江戸では花見の名所として、
上野、向島、飛鳥山、御殿山が有名でした。
とりわけ上野は、日光山輪王寺門跡、比叡山延暦寺天台座主
を兼務する上野東叡山寛永寺貫主すなはち輪王寺宮(上野の宮様)が
在住していたこともあって、最も高尚な花見の場所でした。
この句も「上野の宮様もお休みになれないでしょう、桜に吹く風が心配で」
というほどの意味と考えられます。
この夏目成美の句は文化6年(1809)に初出で、『成美家集 上』(1817)にも、採録されている句です。
反対側に描かれる桜は、強い風に吹かれる夜の上野の桜を表しています。
形状 :
やや小ぶりな常形3段の印籠です。
技法 :
総体黒蝋色塗地とし、焼金粉の平蒔絵で、夏目成美の俳句を表しています。
硬い漆で付描にした非常に高度な平蒔絵です。
桜は焼金粉と銀粉の研出蒔絵で表しています。
桜を中心に淡く銀平目粉も蒔き、夜の情景を表現しています。
段内部は金梨子地です。
作銘 :
底部左下に「寛哉」との蒔絵銘があります。
夏目成美 :
江戸浅草蔵前瓦町の札差井筒屋八郎右衛門の6代目です。
修行庵、随斎、不随斎、法林庵、贅亭、無辺法界排士、卍齢坊、
大必山人、四三山道人、風雲社とも号しました。
父から俳句を学んだ他は、ほぼ独学で江戸俳諧の中心的人物として大成し、
大島完来、鈴木道彦、建部巣兆と共に「江戸四大家」と称されました。
小林一茶の庇護者でもあり、『随斎諧話』『成美家集』などの
著作、句集も刊行しました。
伝来 :
都内に大切にされて伝来してきた作品で、
2013年にうぶの状態で発見されました。
↑先頭に戻る
作者について知る⇒
古満 寛哉 2代 (こま かんさい) 1797〜1857
十二支蒔絵印籠 (じゅうにしまきえいんろう)
古満寛哉(2代)作
製作年代 : 江戸時代末期
天保〜安政頃(circ.1850)
法量 :
縦81mm×横59mm×厚20mm
鑑賞 :
2代古満寛哉の印籠の最高傑作です。金工象嵌
と緻密な高蒔絵で十二支を表現した作品です。
根付には古満安匡作「龍蒔絵根付」、緒締は古渡珊瑚を取り合わせています。
意匠 :
十二支の意匠で、表に子・丑・寅・卯・辰・巳を、裏に午・未・申・酉・戌・亥を振り分けています。
未は羊でなく、山羊が描かれています。この時代には、しばしばあることです。「十二支蒔絵印籠」
は父の初代古満寛哉が作っており、
東京藝術大学大学美術館
に所蔵されています。
恐らく下絵が残っていたのでしょう。
牛の構図は初代寛哉のものと全く同じです。
他の動物は全て変えています。
形状 :
昔形四段の印籠で、標準的な大きさです。
技法 :
・完璧なまでに研ぎ上げられた金粉溜地に、金工象嵌と高蒔絵です。
蒔絵がすべて出来上がってから象嵌する部分を形に沿って彫り込み、象嵌しています。
鼠は銀容彫に金象嵌、虎は朧銀容彫に金象嵌、兔は金容彫、蛇は朧銀容彫に金象嵌、
猿は朧銀地容彫素銅象嵌、鶏は赤銅容彫に金象嵌、犬は赤銅容彫に金象嵌
猪は朧銀容彫に金象嵌です。無銘ですが装剣金工師の巧手の手になるものでしょう。
・龍は高蒔絵で鱗を一枚一枚立体的に形作っています。馬は青金高蒔絵で、山羊は高蒔絵で毛並を毛彫りしています。
この作品の見所は赤銅粉高蒔絵の牛です。他の多くが金工を象嵌したものであるため、
一見赤銅容彫象嵌に見えますが、実は赤銅粉の高蒔絵に
毛並みを片切彫で表わしています。
特に牛の尾の表現は蒔絵筆によるものですが、人間業とは思えないほど見事です。
また全ての高蒔絵は、高上げの肉取りが非常に優れています。
・内部は豪奢な刑部梨子地に仕立てられています。
作銘 :
蓋裏に「古満寛哉(花押)」と蒔絵銘があります。
2代寛哉の印籠の上作は、必ずこうした蓋裏の隠し銘であり、
最上作では内部を豪奢な刑部梨子地にして、
蓋裏に蒔絵銘として、さらに花押も添えています。
伝来 :
20世紀初頭のアメリカの印籠コレクター、
ウィリアム・デュ・ポンド氏の旧蔵品で、1995年に日本に里帰りしました。
展観履歴 :
1999 五島美術館「羊遊斎」展
2002 国立歴史民俗博物館・岡崎市美術博物館「男も女も装身具」展
2019 東京富士美術館「サムライ・ダンディズム」展
↑先頭に戻る
作者について知る⇒
松梅蒔絵竹根香合
(まつうめまきえちくこんこうごう)
古満寛哉(2代)作
製作年代 : 江戸時代末期
天保〜安政頃(circ.1850)
法量 :
直径66mm×厚16mm
鑑賞 :
2代古満寛哉による松と梅を蒔絵した竹根香合で、
素地の竹根とあわせて松竹梅の意と図しています。
意匠 :
竹根の素地を背景に、光琳風の松と梅を高蒔絵にしています。
『光琳百図』等の刊本を参考に、寛哉が独自に翻案したものです。
形状 :
竹根を印籠蓋造とした身と蓋にした一文字香合です。
技法 :
竹根を挽物とした素地を拭漆し、高蒔絵としています。
焼金粉を基調として、松の葉叢は青金粉、梅の花は銀粉としています。
作銘 :
底部中央に「寛哉」と蒔絵銘があります。
伝来 :
国内に伝来し、2017年に出現しました。
↑先頭に戻る
作者について知る⇒
古満 文哉 (こま ぶんさい) 1811〜1871
柴舟蒔絵印籠 (しばふねまきえいんろう)
古満文哉作
製作年代 :
江戸時代末期
法量 :
縦44mm×横41mm×厚15mm
鑑賞 :
本阿弥光悦作とされる「柴舟蒔絵印籠」を、初代古満寛哉の次男、古満文哉が模写した
琳派風の小振りな印籠です。
鉛、螺鈿の象嵌に平蒔絵としています。
柴田是真も同じ印籠の模作をいくつか残しています。
黒檀製楼閣彫の根付と、
珊瑚珠の緒締2つ、銀磨地に鹿片切彫の緒締、
八百善亀甲更紗の巾着が附属した合提に仕立てられています。
根付以外は昭和4年(1929)に東京美術倶楽部で行われた
の浅見家売立以来そのままの取り合わせで残っています。
意匠 :
荒れた波間に、柴を積んだ小舟、いわゆる「柴舟」が浮かぶ意匠です。
琳派にしばしば見られる意匠で、
『源氏物語』宇治十帖の「浮舟」に取材したものとも考えられます。
形状 :
小型で、ほぼ正方形の角印籠に紐通が付いた、3段の印籠です。
天地は平らになっており、琳派の印籠に見られる、独特な形状です。
技法 :

黒蝋色塗地に平蒔絵で波文を表わし、柴は鉛板を象嵌した上に付描で、
舟は厚貝の螺鈿で表しています。
印籠の段内部は、艶の無い金地に仕立てられています。
こうした金地の段内部は琳派の印籠に独特なもので、
忠実に本歌を写したものと考えられます。
作銘 :
蓋裏に「光悦作/文哉寫」と針彫銘があります。
金地の段内部で、蓋裏に針彫で銘を入れるのも、尾形光琳などの印籠に見られるものです。
本歌は無銘と考えられますが、尾形光琳の印籠銘に倣って「光悦作」と銘書したと考えられます。
伝来 :
昭和4年(1929)4月8日に東京美術倶楽部で行われた『浅見家所蔵品入札』
に古満寛哉(2代)作「桐花唐草蒔絵印籠」・原羊遊斎作「薮柑子蒔絵印籠」・飯塚桃葉「蝶蒔絵印籠」
などと併せて小印籠5点を1ロットにして出品され、440円で落札されています。
展観履歴 :
1999 五島美術館「羊遊斎」展
2019 東京富士美術館「サムライ・ダンディズム」展
製作背景 :
同趣の印籠は2代古満寛哉も作っています。
武井男爵のコレクションでしたが、現在所在不明です。
また柴田是真も全く同図の印籠を少なくとも4点は作っています。
大正7年(1918)の松澤家の売立と大正8年(1919)の籾山家の売立に出ている印籠
は共箱で、やはり「光悦寫」だったことがタイトルからわかります。
金工家、香川勝廣が所蔵していた
柴田是真作「柴舟蒔絵印籠」については、より詳細に記録があります。まず『漆器図録』
に模写図があります。そこには「本阿弥家蔵光悦作是真寫」と注記があり、
印籠の底には楕円の中に是真の銘があります。
大正6年(1917)の香川勝廣の売立目録には写真もあり、やはり共箱だったことがわかります。
おそらく「本阿弥家蔵光悦作是真寫」は共箱に書いてあるのでしょう。この印籠は現存し、
メトロポリタン美術館
に入っています。
これらのことから想像されるのは、古満寛哉(2代)・古満文哉・柴田是真の3人で本阿弥家に行き、
本阿弥光悦作と伝えられる印籠を見たのでしょう。
模写図を作り、
それぞれに翻案作品・模写作品を作ったのではないかと考えられます。
↑先頭に戻る
作者について知る⇒
2007年12月 6日UP 2022年 4月 2日更新
|
|