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  • 特別展示室では時代・製作地にこだわらず、期間限定で不定期に 名品を展示します。


    菊輪三葵紋蒔絵紙台
    (きくわみつあおいもんまきえかみだい)


     製作年代 : 江戸時代後期
    嘉永頃(circ.1850)

     法量 :
    縦200mm×横279mm×高236mm

     鑑賞 :
    尾張徳川家の分家、美濃高須藩主、 松平家当主の松平義建、もしくは松平義比(後の徳川茂徳) が手許で使用していた紙台です。
     黒漆塗地に平蒔絵で、菊輪三葵紋散しとした作品で、 江戸時代後期から末期にかけての大名調度の好例です。

     意匠 :
    徳川家の「丸に三葵紋」は葵紋の中で最も格式が高く、 徳川将軍家の他は、御三家、御三卿、御家門、 使用を許可された外様大名などに使用が限られました。 御三家の分家といえども「丸に三葵紋」は使用できず、 尾張徳川家の分家では高須松平家が「菊輪に三葵紋」、 川田窪松平家(江戸中期までに絶家)が「五環の内三葵紋」、 紀伊徳川家の分家、西条松平家が「隅切角に三葵紋」、 水戸徳川家の分家、守山松平家が「折敷に三葵紋」でした。 苗字も徳川姓は許されず、松平姓でした。
     この紙台では高須松平家の表紋、「菊輪に三葵紋」散しで、葉の茎は左巴、 葉の葉脈は、蒔絵が17筋立、金具が25筋立で表現されています。

     形状 :
    貼札に「御手紙台」とありますが、「御手元の紙台」の略と考えられます。 紙台は、杉原紙などの鼻紙を天板の盆上に載せたり、 手回り品を抽斗に収納するための調度です。 この紙台は、ごく標準的な構造の紙台で、2段の抽斗の上を空間とし、 4本の柱の上に入隅の香盆状の盆を載せる構造です。 抽斗の金具も銀七々子地の「菊輪に三葵紋」です。

     技法 :
    通常こうした調度類では、割れや変形を防ぐため、檜の柾目板を使用しました。 しかしこの作品では安価な樅板が使われています。 保存が良かったためか、たまたま変形や割れが生じなかったようです。
     要所は布着せを行い、総体黒漆の塗立てとして、 安価な消粉で「菊輪に三葵紋」を平蒔絵にし、 付描も同様な消粉を使用しています。 釦も同じ消粉の平蒔絵です。  江戸時代後期以降の大名家では、 厳しい藩財政を反映して、 このような安価な材料による調度もしばしば見られます。
     婚礼道具などを専業とした江戸の道具蒔絵師によるものと思われます。

     外箱 :
    樅箱を黒漆塗とした慳貪蓋造の外箱と、 和紙のたとうが附属しています。 外箱の慳貪蓋には「少将様御手紙台」と「御側」と墨書のある貼札があります。 「菊輪に三葵紋」とともに高須藩主所用品であることが判明します。
     製作年代を考慮すると、「少将様」の墨書から、 左少将であった10代藩主松平義建と 11代藩主松平義比(後の徳川茂徳)所用の可能性があります。

     高須松平家 :
    高須松平家は、尾張徳川家2代藩主光友の次男義行を祖とする尾張支藩です。 美濃国高須で3万石を領しましたが、石高に比べて家格が極めて高く、 従四位下、少将の家柄です。江戸城中の詰席は大広間で、 島津、伊達に次ぎ、細川、鳥取池田の上です。
     江戸上屋敷は四谷にあったので四谷家とも呼ばれました。 松平摂津守にちなんで現在でも「津守坂(つのかみざか)」の地名が残っています。
     10代藩主の義建は、尾張本藩を相続した慶恕(後の徳川慶勝)、 11代藩主義比(尾張本藩を相続し、さらに後に一橋家を相続した徳川茂徳)、 会津松平家を継いだ松平容保、 桑名松平家を継いだ松平定敬 の4兄弟を生んだことでも有名です。

     伝来 :
    国内に伝来し、2010年に初めて確認しました。



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    2018年3月28日再UP