長谷川 巨鱗斎(はせがわ こりんさい) 生没年未詳
流派: 山田派
略歴:
江戸後期に江戸で活躍した印籠蒔絵師です。現存作品の作銘から、姓が長谷川、号が巨鱗斎、諱が重美であることが分かっています。
蒔絵銘に使用している香炉形印の印文は「重美」のものと「柱」のものがみられます。
経歴など一切伝えられていませんが、「常嘉斎印籠下絵」にその在銘作品と合致するものが多いことから山田常嘉の一門と考えられます。
また一橋徳川家に伝来した重要文化財「竹鶏蒔絵印籠」(茨城県立歴史館)が、11代将軍・徳川家斉(1773〜1841)より一橋治済(1751〜1827)が拝領したものであることや、
「水草鴨蒔絵盃」(個人蔵)が将軍家斉の18女・盛姫(1811〜1847、鍋島直正夫人)より佐賀藩士・徳永傳之助が拝領したものであることから、
徳川将軍家の御用を勤めていたであろうことが推定されます。
精緻な印籠が多数現存していますが、意外なほど偽物も数多くあります。印籠以外の作品はほとんどなく、
僅かに根付が2点、煙草盆が1点、三組盃が2組、一つ盃が2点しか確認できません。まさに印籠蒔絵師です。
「四季賞会蒔絵三組盃」外箱の筆跡と識語からは、単なる職人とは思えない相当の教養が感じられます。
この「四季賞会蒔絵三組盃」は、蒔絵が長谷川巨鱗斎の作ですが、塗は尾張徳川家の御蒔絵師・吉村寸斎で、
さらに山本梅逸(1783〜1856)・小島老鐵(1793〜1852)・森玉僊(1792〜1864)・
鈴木鳴門(?〜1840)等の下絵を用いていることから、名古屋ゆかりの人物からの注文か、
本人に名古屋となんらかの地縁があったとも考えられます。
重要文化財「竹鶏蒔絵印籠」(茨城県立歴史館)をはじめ狩野祐清(1787〜1840)下絵の印籠が数点あることや、
「竹蒔絵煙草盆」が狩野美信(1747〜1797)下絵であること、
「香包蒔絵印籠」(東京国立博物館蔵)が土佐光貞(1738〜1806)下絵であることから、
寛政から文政頃に活躍したと考えられます。
作品を所蔵する国内の美術館・博物館:
・東京国立博物館(香包蒔絵印籠・張果老蒔絵象嵌印籠
萩薄蒔絵根付)
・東京藝術大学大学美術館(五節句蒔絵印籠)
・静嘉堂文庫美術館(近江八景蒔絵印籠・山水七夕蒔絵印籠・秋草蒔絵根付)
・東京富士美術館(桜孔雀蒔絵印籠・
稲束雀蒔絵印籠)
・茨城県立歴史館(◎竹鶏蒔絵印籠)
・徳川美術館(牡丹蒔絵印籠)
・大阪市立美術館(御簾立花蒔絵印籠・西湖蒔絵印籠・三囲蒔絵盃)
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