中山 胡民
(なかやま こみん) ? 〜1870
流派: 羊遊斎派
略歴:
江戸末期の江戸において、柴田是真と並び称された印籠蒔絵師です。当時から高名でしたが、
実はその経歴はほとんど不明です。
葛飾郡寺島村の名主金兵衛の子に生まれ、祐吉を通称としました。
幼くして江戸へ出て原羊遊斎の門人となり、若くして名をなしました。
夕顔・小倉山・片輪車手箱・鶴岡手箱など羊遊斎のテーマや作風を継承しています。
胡民斎・泉々・風観子・観などと号し、後に法橋に叙せられました。
明治3年(1870)に没し、向島の法泉寺に葬られ、
「泉々菴玉龍胡民居士」と謚されました。
これまで63歳没と伝えられていましたが、
77歳在銘作品の存在や、松平不昧・酒井抱一との直接の関係から、
私は83歳没と推測しています。
門人:
小川松民・渡辺東民
住居:
両国矢の倉に住んでいましたが、明治2年(1869)に今戸に転居しました。
今戸は生家の寺島村とは隅田川を挟んで対岸で、現在は橋がありますが、当時はありません。
ですから遠く見えるのですが、実は渡し舟があったので、意外に近かったのです。
生家近くの白髭神社には、嘉永2年(1849)に奉納した一対の石燈籠が現存しており、
正面には「法橋胡民斎」と刻まれています(右上写真)。故郷に錦を飾ったのでしょう。
胡民の菩提寺・法泉寺もその近くです。
逸話:
余暇に茶事を好み・俳諧をよくしたと伝えられます。
香川大学所蔵の中山胡民の下絵集には「風観子」という号が書き添えてあります。
恐らく蒔絵師であり俳人でもあった先人の小川破笠を慕ったのでしょう。
破笠は卯観子と号していたからです。
それ以外の逸話が知られていません。興味深いのは、年齢の問題です。
なぜ63歳という誤った没年齢が伝えられたかということです。
この年齢の根拠は、横井時冬著『工芸鏡』の中にあり、胡民の未亡人の談話とされています。
聞き間違え、書き間違えかも知れません。しかしもうひとつの可能性もあります。
法泉寺にある胡民の墓には、嘉永元年(1848)に没した女性と、
明治28年(1895)に没した女性と2人の女性も合葬されています。
未亡人というのは、この明治28年に没した女性でしょう。
恐らく後妻さんです。あるいは再婚する時、
胡民先生は、後妻さんに歳をごまかしたのかもしれません。
法泉寺にある胡民の墓石は大きく立派で、正面には「泉々胡民墓」、
基台には「名花山」とあります。「名花山」は、「中山」の洒落字で、
「なかやま」と読ませたいのでしょう。
また墓には、孫の中山江民も合葬されています。
作品を所蔵する国内の美術館・博物館:
・皇居三の丸尚蔵館(波蒔絵巻子箱)
・東京国立博物館(竹蒔絵印籠
・日出若松鶴蒔絵印籠
・肩衡茶入)
・江戸東京博物館(扇面蒔絵扁額・
波蒔絵櫛
)
・静嘉堂文庫美術館(月竹蒔絵印籠・菊流水蒔絵印籠・蝶蒔絵根付・雨宿蒔絵香合)
・根津美術館(竹七宝文蒔絵香合)
・サントリー美術館(楓蒔絵櫛)
・京都国立博物館(富士蒔絵菓子盆)
・泉屋博古館東京(雨宿蒔絵香合)
・木村茶道美術館(壽字蒔絵盃)
・北方文化博物館(壽字蒔絵盃)
・大阪市立美術館(壽字蒔絵盃)
・佐野美術館(月秋草蒔絵煙管筒)
・手銭記念館(立鶴蒔絵香合)
・日光うるし博物館(団扇絵蒔絵菓子皿)
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