塩見 小兵衛(しおみ こへえ) 生没年未詳
略歴:
伝説的な江戸中期の京都の印籠蒔絵師、塩見政誠の後裔と考えられる江戸の塗蒔絵師です。
京都の塩見政誠と同じ通称の小兵衛を称しました。
江戸千家の祖、川上不白の好み物の茶器、引盃、菓子盆等の作例が見られます。
特に塩見政誠にも作例がある、本法寺の什宝で伝銭舜挙筆「鶏頭花図」(重文)を写した
「鶏頭蒔絵棗」は、不白の好み物として有名です。江戸後期、18世紀末から19世紀初めの江戸で活躍したと考えられます。
江戸中期の塩見政誠が篆書体の「鹽見政誠」の印形の朱漆銘や行書の蒔絵銘で「鹽」の字を使ったのに対し、
「塩」、「塩見」、「塩見工」など、特徴的な「塩」の字を使用しました。
箱書も同様です。活躍年代から見て塩見政誠の2代くらい後の代と考えられます。
住居:
塩見政誠が京都の蒔絵師であったのに対し、江戸四谷に住んだと伝えられます。
川上不白のために京都から不白が住む市谷近くの四谷に移住して来た可能性があります。
塩見宗斎:
2022年、新たに川上不白好みで「塩見宗斎」銘の「松竹梅唐草蒔絵印籠」を確認しました。
特徴的な銘字の筆跡から、塩見宗斎は江戸後期・寛政から文化初年の江戸において塩見小兵衛と称して不白好みの茶道具を製作していた人物と同一人物とみられます。
塩見一鳳斎:
幕末の江戸の作風を示す「塩見一鳳斎」在銘の作品が数点現存しています。
塩見一鳳斎は、塩の字を使うことから、塩見小兵衛=宗斎の子と考えられます。
作品を所蔵する国内の美術館・博物館:
塩見小兵衛
・根津美術館(鶏頭蒔絵棗)
塩見一鳳斎
・大阪市立美術館(鳴子雀蒔絵櫛)
塩見政誠について知る⇒
作品を見る⇒
2019年11月17日UP 2023年 2月18日UP |
|