塩見 政誠 (しおみ まさなり) 1647?〜1723?
略歴:
江戸中期に京都で活躍した印籠蒔絵師です。生没年も不確実ですが、上記の生年は1年の誤差の可能性があり、
没年は数年の誤差を含んでいますが、宝永から享保頃に活躍したことは確かです。通称が小兵衛で、諱が政誠です。榊原芳野撰「 譜」によれば塩見政誠の父は山本春正の子・春正 景正だとしますが、年代的にありえず、作風からの推定だけでしょう。
伝説的な研出蒔絵の名手で、研出蒔絵のことを「塩見蒔絵」というほど古来有名でしたが偽物も多く、
これまではその作品もよくわかっていませんでした。
しかし近年ようやくその作品が明らかになってきました。伝来が確かな基準作例として次の3点が挙げられます。
笙「節摺」(武蔵野音楽大学楽器博物館蔵)は、
天王寺方の楽家、林家に伝来し、後に仙台藩主伊達重村(1749〜1796)に譲られたもので、
頭は竹蒔絵で、題字の書が、伏見宮邦永親王(1676〜1726)です。
また「蜻蛉蟷螂蒔絵印籠」(國學院大學博物館)は
有栖川宮家に伝来した印籠の中でも「代々傳来可令永家蔵受」として別格の扱いを受けていたものです。
そしてこれと極めて作風がよく似た
「蜻蛉蟷螂蒔絵印籠」(東京国立博物館蔵)は、
法隆寺献納宝物で、文政年間に光格天皇から法隆寺に奉納されたとされるものです。
そして伝来は不明ながら、「比良山蒔絵硯箱」(東京国立博物館蔵)
は明治期からよく知られた名品で、代表作として2010年に国の重要文化財に指定されました。
明治のはじめに博物館が購入したもので、作品の出来やその外箱の仕立てなどから、皇室周辺の名家の伝来品であったことは間違いありません。
しかし「比良山蒔絵硯箱」のような道具類はむしろ稀な例で、作品はほとんどが印籠です。
印籠の作銘は紐通部に入れられることが多く、
篆書体で「鹽見政誠」と朱漆で4字長方形に入れられます。
ただ稀に、蓋裏に行書体の行年銘を添えたものや、
「政誠」の2字を長方形や瓢形に朱漆で入れたものも見られます。
逸話:
「資性極めて磊落」、「技術の外何事をも顧みず清貧洗ふが如きも更に意に介せず」といった性格、
製作姿勢が伝えられています。
また国学に通じて和歌をよくし、画もよくしました。
門人:
一門、後代についてはよくわかっていませんが、塩見政綱、塩見政景、
塩見政陰等の銘の印籠が数点現存し、
これらの人物は実在した可能性が高いと考えられます。
また子孫は江戸の四谷に移住したとも伝えられ、
江戸千家、川上不白の好み物が多く残っているほか、
さらにその子孫と考えられる幕末の塩見一鳳斎銘の作品も現存しています。
江戸の蒔絵師 塩見小兵衛 を見る⇒
そしてそれとは別に、幕末の京都に、蒔絵師、塗師、仏師を兼業する塩見甚之介という蒔絵師が
彦根藩の御用を勤めて楽器を納めており、これも塩見政誠の子孫と考えられます。
住居:
京都の新町一条あたりに住んだと伝えられます。
作品を所蔵する国内の美術館・博物館:
・東京国立博物館(◎比良山蒔絵硯箱、
蜻蛉蟷螂蒔絵印籠、
猿蒔絵印籠、
樋口蒔絵螺鈿印籠)
・武蔵野音楽大学楽器博物館(笙「節摺」)
・江戸東京博物館(波千鳥蒔絵印籠)
・東京富士美術館(馬蒔絵印籠、
鼠蒔絵印籠)
・國學院大學博物館(蜻蛉蟷螂蒔絵印籠)
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2017年 8月11日UP 2019年11月17日更新 |
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