川崎 成甫 (かわさき せいほ) 生没年未詳
家系:
川崎成甫の父とみられているのは、
『大洲秘録家臣録』に記載される、
江戸中期の延享・寛延頃に伊予国大洲藩御用塗師だった川崎儀兵衛です。
3人扶持7石を給せられていました。代々、大洲城下で塗師をしていたようです。
略歴:
川崎成甫は通称が儀左衛門で、号が成甫です。
また俳句を嗜んだようで、俳号を知足庵静甫としていたようです。
川崎成甫は大洲城下で鞘塗をしたり、武具類を作っていました。
平蒔絵や沈金を得意としていたようですが、存星の作品などもあり、
当時としてはかなり特殊な工人です。
狩野典信下絵の鐙が残っているようなので、藩主の武具類も調進したのでしょう。
後に伊予松山に移り、さらに京都に移ったようです。
京都・妙心寺には「鳳凰沈金大合子」が現存しており、宝暦13年(1763)
の年紀銘があるので、この時期には京都にいたようです。
愛媛県内には晩年の行年銘のものも多くあるようなので、
松山や京都は一時的で、晩年には大洲に戻っていた可能性もあります。
87歳在銘の作品が数点確認されており、比較的高齢で没したと考えられています。
住居:
はじめ伊予国大洲城下に住んでいましたが、後に伊予国松山に移り、さらに京都に出ました。
京都では、二条上ル夷川麩屋町に住んでいたと伝えられます。
作品:
武具や文房具、重箱、盆、菓子器、椀のほか、印籠も2点の現存が確認できます。
また京都・妙心寺には「鳳凰沈金大合子」が現存し、
2009年に京都国立博物館で開催された「妙心寺展」で展示されています。
作品を所蔵する国内の美術館・博物館:
・大洲市立博物館(桐鳳凰存星硯蓋)
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