守川 嘉良斎(もりかわ かりょうさい)
流派: 山田派
略歴:
嘉良斎は文献が一切残っていない蒔絵師で、印籠の作品のみが確認されています。
作銘にいわゆる壺印(実際には香炉形印)が使われていることから、
長年、欧米では梶川一門の印籠蒔絵師と考えられていました。
しかし、「南都八景蒔絵印籠」(フィンランド・クレスコレクション)が
「常嘉斎印籠下絵」に収載される印籠下絵と完全に合致することと、
号に「嘉」の1字を使うことから、現在では山田常嘉の一門とも考えられています。
江戸後期の江戸の印籠蒔絵師であることは動かぬところです。
苗字を記した作品は僅かに2点のみが確認されています。
「唐松孔雀蒔絵印籠」には「守川嘉良斎」とあり、「菊蒔絵印籠」には
「石橋嘉良斎」とあります。時期が異なるのか、何らかの事情により、
「守川」・「石橋」両方の姓を称していたようです。
江戸には幕末期に石橋姓の蒔絵師が2家ありましたので、
その関連も考えられます。
作風から見て、寛政から文化頃に活躍したように思います。
また新たに発見した「唐松孔雀蒔絵印籠」の印文に「瞎」とありますので、片目に障害があった可能性があります。
いずれにしても謎だらけの工人ですが、
遺された作品はいずれも格調高く、傑作揃いであり、徳川将軍家の周辺で活躍していたと考えられます。
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