岩崎 交玉(いわざき こうぎょく) 1827〜1900頃
流派: 羊遊斎派
略歴:
文政10年(1827)生まれの幕末・明治の印籠蒔絵師です。
通称は巳之助・巳之吉・巳之平・巳之治などとしました。
13歳で原羊遊斎の門に入り、
嘉永5年(1852)まで羊遊斎工房の最末期に下職を勤めました。
直接の手ほどきをしたのは昇龍斎光玉
(つんぼの金次郎)で、
交玉の号は、昇龍斎光玉から授けられたと考えられます。
羊遊斎の没後、昇龍斎光玉とともに2人で工房に残って、
養子の原更山を支えましたが、嘉永5年(1852)に工房は閉鎖されました。
その後は、昇龍斎光玉とともに、幕府の蒔絵仕手頭・田邊源助方に寄寓し、
日光東照宮修復御用にも参加しました。
慶応2年(1866)に独立開業し、維新後は起立工商会社に入りました。
フィラデルフィア万国博覧会では、漆器の出品物製作を指揮しました。
晩年、新川の酒問屋、鹿島清兵衛に召抱えられ、
河鍋暁斎の下絵で作品を作りました。
明治30年代、鹿島家の別荘で没しました。
門人:一色一哉
住居:
はじめ羊遊斎方に修業に入り、
羊遊斎工房閉鎖後は、神田皆川町の田邊源助方に寄寓しました。
維新後は神田千代田町四番地に住みました。
かつての羊遊斎の旧宅のすぐそばにあたります。明治18〜20年頃には下谷竹町に住んでいました。
最期は鹿島家の別荘で没しました。
作品を所蔵する国内の美術館・博物館等:
・出光美術館(松竹梅蒔絵笄)
・河鍋暁斎記念美術館(猩々蒔絵煙管筒・壽字蒔絵盃盃台・壽字蒔絵重箱)
・須坂市立博物館(松竹梅蒔絵印籠)
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