川之邊 一朝
(かわのべ いっちょう) 1830〜1910
流派: 古満派・幸阿弥派
略歴:
川之邊一朝は、天保元年(1830)12月24日、浅草永住町に生まれました。
源次郎と名付けられ、長じて平右衛門に改めています。
幼時より絵本を好み、それを模写したりしていたため、両親は蒔絵師にしようとしました。
知人の小川多七が幕府の御蒔絵師・幸阿弥因幡長賢
の手代であったので相談すると、
幸阿弥因幡配下の仕手頭で古満派の武井藤助
への入門を勧められました。
一朝は12歳で通い弟子となり、中橋南伝馬町1丁目の武井藤助方に通って修業しました。
21歳の時に独立開業し、はじめて一朝を号しています。
維新前は和宮の調度をはじめとする徳川幕府の調度類の製作に工人として参画しました。
あるいは大奥用達・小山半兵衛の仕事も手伝っていました。
また熊本藩主・細川家の「青海波海貝丸蒔絵鞍鐙」(永青文庫蔵)も製作しています。
明治維新直後は、幕府が滅亡して辛酸をなめました。
北上する旧幕府脱走兵の韮山笠4、50個に金紋を蒔絵したり
横浜貿易のハンカチ箱や食卓、花瓶などに蒔絵して糊口をしのぎました。
その後、内外の博覧会、展覧会で多数受賞し、宮内省の御用品を製作しています。
明治29年(1896)には帝室技芸員に任じられ、
翌年には東京美術学校教授となりました。
また11年の歳月を費やした、「御一聖一個の書棚」=「菊蒔絵螺鈿書棚」(皇居三の丸尚蔵館蔵)を
明治36年(1903)に完成しています。漆工界の発展に貢献し、正六位の位階を受けました。
明治43年(1910)9月5日、81歳で没し、今戸の妙高院に葬られ、「良隠院探徴一朝日充居士」と諡されました。
門人:
川之邊一湖・川之邊一朋・石井一得斎・磯矢完山・片岡華江・小原春翠
住居:
浅草区西三筋町52番地
逸話:
13歳の時、兄弟子の兼吉という者と、初めて江戸城・大奥に作業に上がりました。
大奥では、什器類に所用者を表す御印(おしるし)を付けます。
つまり将軍やその家族の名前を書くことが畏れ多いので、
あらかじめ決まったマークを付けておくのです。
納めた重箱の底や文箱の蓋裏など目立たないところに、弁柄漆や平蒔絵で書く作業です。
大奥は男子禁制なので、修業中の子供が選ばれたのでしょう。
兄弟子の兼吉が、奥女中たちを評して、下々にしか解からない言葉で、
誰それがお亀だの、イタが大きいだのと陰口を叩いていました。
次の時、一朝が1人で大奥に上がった時のことでした。
1人の奥女中が1坪ほどもある大囲炉裏で手を暖めていました。
そして「源次郎、よく来なすった。寒いからこちらへ来て手でも暖めなさい」と呼ばれ、
菓子や茶を出してもてなされました。するともう1人奥女中が出てきて
「前に来た時に、兼吉が大きな声で何やら解からぬ言葉で、
誰さんはイタが大きいとか申していたが、
話の様子から、わらわ達の陰口らしく思われるが、イタとは一体何のことか」
と問い詰められました。
一朝が尻のことだとも言えず、適当に言葉を紛らわしていると、
大勢の奥女中に囲まれ、「言わねば、ひどい目にあわせますぞ」と言われましたが、
言わずにいました。
すると囲炉裏の灰を均していた1人の奥女中が
「もうだいぶ暖まったでしょうから、こちらと替わってくだされ」と言うと、
それが合図だったのか、示し合わせた奥女中たちは大勢で抑えかかって、
一朝の髷のもとどりを掴んで、
均した囲炉裏の灰に顔を押し付けて、顔型を取ったのでした。
灰まみれになって呆然とする一朝を見て、
大奥女中たちは大笑いをしていました。
そこへ現われた老女が「子供を相手に、この騒ぎは何事でござります」
と叱責するとともに、
一朝を慰めました。
その後、大奥内で知られるようになり、信頼も得て重用されたそうです。
一朝が成長した若い頃、幕末の江戸城の御殿はたびたび焼失し、
そのたびに城中の多くの調度を作り直さなければなりませんでした。
また篤姫(天璋院)や和宮の入輿、姫君の婚礼などが相次ぎ、
そのたびに大量の婚礼調度を御小屋で製造する必要がありました。
一朝はこうした事業に一工人として参画していたのです。
一連の調度の製作には通常2、3年を要しましたが、
風雲急を告げる幕末、時節柄、期日が迫っている場合が多く、
昼夜兼行で作業しなければならず、大いに辛酸をなめました。
一朝は性格が温厚で、酒も煙草も嗜まず、毎朝、法華経を読誦して仕事を始めました。
また皇室御用を請けたり、美術学校教授になってからは、
日曜日以外は民間の仕事をしなくなりました。
つまり休みの日はなかったのです。
作品を所蔵する国内の美術館・博物館:
・皇居三の丸尚蔵館(菊蒔絵螺鈿書棚
・石山寺蒔絵文台硯箱
・秋草流水蒔絵螺鈿棚
・春草蒔絵棚
・古今集蘆手蒔絵香盆)
・東京国立博物館(藤牡丹蒔絵手箱
・源氏五十四帖短冊蒔絵料紙硯箱)
・東京藝術大学大学美術館(初音蒔絵手板
・初音蒔絵手板
松草花蒔絵手板・波蒔絵手板・松富士蒔絵手板・
鳳凰蒔絵重香合・松鷹蒔絵板『綵観』のうち)
・永青文庫(青海波海松貝蒔絵鞍鐙)
・静嘉堂文庫美術館(葵紋散蒔絵糸巻太刀拵)
・遠山記念館(初音蒔絵十種香道具)
・敦井美術館(有明蒔絵冠棚)
・石川県立美術館(棕櫚芭蕉蒔絵聨・鳩蒔絵丸額)
・清水三年坂美術館(秋景蒔絵飾棚・四君子蒔絵料紙箱)
・広島県立美術館(瀧山水蒔絵料紙箱
)
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2008年 2月24日UP 2023年 4月23日更新 |
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