永田家梅鉢  永田 友治 (ながた ゆうじ) 生没年未詳

 流派: 京蒔絵・琳派

 略歴:
永田友治は江戸中期の京都で活躍したとされる琳派の蒔絵師です。 尾形光琳とは血縁も師弟関係もありませんが、 光琳の作品とその作風を慕いました。 経歴と言えるようなことは、ほとんど何も判っていません。 安永年間に50余歳で没したとも、 江戸で80余歳まで生きたとも伝えられますが、 確かなことは何も分かりません。

 活躍年代すら明らかにされていませんが、 正徳5年(1715)刊行の江島其磧『世間子息気質』に記述があることや、 たとう印 宝暦9年(1759)の購入年紀の作品が現存していますし、 酒井抱一が極書した作品があることから、 概ね正徳〜宝暦に活躍し、比較的高齢で没したことは確かでしょう。

 光琳が「青々」と号したことから、「青々子」と号しました。 また「金書子」とも号しています。光琳が使った「方祝」印も使用しています。
 光琳風の画風の作品を多く残しました。 光琳が用いた鉛板、錫板、螺鈿以外にも新たな技法を取り入れました。 特に錫粉を使った独特の高上げは友治上げと呼ばれ、 現在でも錫粉のことは「ユウジ(友治)粉」と呼ばれます。 それが永田友治に由来することを知る人は少ないようです。
 その他にも、錫梨子地や黄緑色の青漆、黄漆などの色漆を使ったり、 地塗に刷毛目塗を使うなど、新しいことを始めています。書風も画風も作風も極めて個性的です。
 代表作品としては京都国立博物館蔵の 「槙鹿蒔絵料紙箱 硯箱」があります。
箱書  また文献に「盃蒔絵師」、「友治盃」と書かれるように、 盃の作品や、膳・椀、硯蓋などの飲食具が比較的多く現存しています。 琳派以外の作品も多くみられます。あるいは漆器問屋、 工房経営者のような人だったのかもしれません。 その技術は永田文五郎 に伝えられたと考えられます。

 住居:
現存する菓子盆の紙袋の商標に住所が書かれた物があります。そこから 京都蛸薬師通御幸町東入町(後に西入町)に住み、後に大坂伏見町に住んでいたことが分かっています。 一説には晩年江戸に移り住んで蒔絵師をやめ、茶道の宗匠になって80歳まで生きたとも 伝えますが、京都で禁裏蒔絵常職となる永田文五郎がその子孫と考えられることから、 信じがたい説だと思います。おそらく子孫の永田習水と混同した誤伝だと考えられます。

 作品を所蔵する国内の美術館・博物館:

・東京国立博物館(波千鳥蒔絵提重、水鳥蒔絵螺鈿盃盃台)
・京都国立博物館( 槙鹿蒔絵料紙箱・硯箱
・東京藝術大学大学美術館(双蝶蒔絵香合、双蝶蒔絵螺鈿乱箱)
・サントリー美術館(亀貝尽蒔絵盃・鴛鴦波蒔絵盃台)

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2011年 1月15日UP
2013年 2月25日更新