初代 長野 横笛(ながの おうてき) 生没年未詳
流派: 不明
略歴:
摂津国、高槻の農家の子で、京都に上って蒔絵の業を修め、享和年間(1801〜1804)に開業したと伝えられます。
開業時期については、明治19年(1886)刊行の『府県漆器沿革漆工伝統誌』の浅野友三郎の履歴に記されるのみで確証に乏しく、もっと上がる可能性もあります。
抹茶茶碗を密陀絵で修繕して名声を博し、世に知られるようになったという逸話が残されています。
通称が次郎兵衛で、屋号を橘屋とし、長野氏を称しています。
また文学を修め、行状厳正で信頼も厚く、同業者に推されて取締となりました。
住居:
京都・堺町二条南に住んだと伝えられます。
2代 長野 横笛(ながの おうてき) 生没年未詳
流派: 不明
略歴:
初代・横笛の子で跡を継ぎ、橘屋次郎兵衛を称しました。
「鶯宿梅」や「祥瑞模様」など、近代まで続く京漆器の代表的なデザインはこの人の意匠と伝えられます。
洛中をはじめ、伊勢・尾張・大坂など諸方からの注文が絶えず家資が豊かになり、驕奢に流れました。
洛東に別荘を造営して資財を尽くし、病に臥して程なく没したそうです。
またその子も早世で嘉永年間(1848〜1854)に没し、家名は断絶しました。
橘屋の屋号は門人の浅野友七に受け継がれました。
住居:
京都堺町通押小路上ルに住みました。
蒔絵師としては例を見ないほどの屋敷に住んで、家宅・庭園は豪奢を極めました。
また洛東にも別荘を構えました。
作品:
現存する作品は飲食具が多く、茶道具や文房具も若干残っています。
外箱に「長野横笛」の入り隅の黒文方形印を捺すのみで、銘書や墨書を行うことは極めて稀です。
印の種類はかなり多くみられ、偽物を除いても数種の印を製品のランクに応じて使い分けていた可能性があります。
作品を所蔵する国内の美術館・博物館:
・彦根城博物館(春慶塗桐紋蒔絵長棗)
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2007年12月30日UP 2019年12月24日更新 |
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