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  • 小川家丸に六柏紋  小川 松民 (おがわ しょうみん)1847〜1891

     流派: 羊遊斎派

     略歴:
      小川松民は、弘化4年(1847)4月25日、江戸日本橋長谷川町の金具師、 忠蔵の子に生まれ、繁次郎と名付けられました。 16歳にして原羊遊斎門下の中山胡民 に入門して蒔絵を学び、 さらに慶応年間には江戸琳派の池田孤村に入門して 画を学びました。

     明治元年(1868)、浅草馬道町7丁目に独立し、松民と号し、晋々・青秀・青阿弥・柏庵などを別号としました。 小川松民肖像 同5年(1873)には、江戸琳派の田中抱二の門に入って、さらに画技を磨きました。

     明治9年(1876)、アメリカ・フィラデルフィア万国博覧会に出品するとともに、 家財道具を売り払って私費で渡米し、博覧会を視察しています。
     同10年(1877)、第1回内国勧業博覧会博では 、龍紋賞牌を受賞しています。
     同12年(1879)には、博物局より法隆寺伝来の 「片輪車蒔絵螺鈿手箱」(平安時代、現在は国宝で東京国立博物館蔵)の模造を依頼されました。
     同13年(1880)、第1回観古美術会が開かれた際、特撰判者を任命されました。
     同14年(1881)には、第2回内国勧業博覧会で妙技賞牌三等を受賞しています。
     同15年(1882)には、博物局より旧松江藩主松平家伝来 「片輪車蒔絵螺鈿手箱」(鎌倉時代、現在は国宝で東京国立博物館蔵)、 旧古河藩主土井家伝来の 「浮線綾蒔絵螺鈿手箱」(鎌倉時代、現在国宝でサントリー美術館蔵)、 さらに農商務省より「正倉院経箱」の模造を依嘱されました。
     同21年(1888)と22年(1889)の日本美術協会美術展覧会では、銀牌を受賞しました。
     同23年(1890)第3回内国勧業博覧会には「三夕蒔絵香棚」を出品して 妙技二等を受賞し、宮内省御用品となりました。 そして7月には東京美術学校の初代教授に就任しました。 また柴田是真らとともに日本漆工会の創設にも尽力しました。
     同24年(1891)5月29日に45歳で没し、谷中墓地に葬られ、「松民居士」と謚されました。
     比較的若く没したため、作品はあまり多くはありません。 古名品の模写や翻案作品の制作は、師の中山胡民 、さらにその師の原羊遊斎 も得意としてきたところで、その伝統をもっとも受継いだ工人でした。 古器の模造は、明治の博覧会や博物館での展示という需要に対して必要とされたのです。 原羊遊斎、中山胡民、小川松民と受継がれた意匠は多く、 片輪車、鶴岡、不昧公夕顔和歌などは3人とも作っています。 自身の作品としては、茶道具が多いようです。印籠も3点ほど現存しています。

     門人:
    六角紫水・磯矢完山(東京美術学校学生)、中山江民

     住居:
     江戸日本橋長谷川町に生まれ、嘉永2年(1849)、火災にあって本所番場に転居し、 明治元年(1868)、浅草馬道町7丁目に開業しています。

     逸話:
     多芸で、42歳ころまで結婚せず、俳諧、連歌、茶道、点茶、炊香、謡曲 などに秀でていたと伝えられます。

     明治13年(1880)4月30日に観古美術会の盛会を祝して 上野精養軒で30名ほどの洋食の晩餐会が開かれました。 柴田是真の次男柴田真哉は、招待されて出席した際、小川松民の隣の席となり、 その時の様子を日記に書いています。 真哉は初めての洋食で、マナーや、料理について、松民が説明をしてくれたそうです。 またアメリカでの話に一同笑ったようです。松民はなかなか社交的な性格だったようです。 真哉は食べ物について松民に逐一質問し、書き留めています。 ソップ(スープ)、フィシ(フィッシュ)、チツケン(チキン)、 フライドチツケン(フライドチキン)、 ビステキ(ビーフステーキ)、サラワタ(サラダ)、ケイキ(ケーキ)、 カフヒイ(コーヒー)、 ほかに米酒、麦酒、葡萄酒とあり、当時のメニューが分かります。精養軒は当時、 東京最古、最盛といわれた西洋料理店で、 本店が京橋采女町で、上野公園内は支店でした。 華族の晩餐会等は精養軒から出張して調進していました。

     明治23年(1890)の第三回内国勧業博覧会では、 出展品の販路拡大のために外国人客の誘致に力が入れられました。 外国、特にシカゴ博覧会のガハルド氏を驚かせるため、岡倉天心は船遊びを思いつきました。 しかし会費を取るわけでもなく、隅田川に屋形船を浮かべるだけで、300円もかかり、 ご馳走すれば500円はかかります。 といっても一文無しなので、岡倉天心は高利貸しから 200円借り、今泉雄作に100円の調達を頼み、あとは誰か寄付してくれるだろうと算段しました。 そして何か面白い趣向はないかと考え、「盃流し」を思いつきました。 「盃流し」とは平安時代の曲水宴を大仰にしたもので、かつて元禄のころに紀伊国屋文左衛門が 隅田川で大量の盃を流したと伝えられていました。
    富士星条旗蒔絵盃  小川松民もその時のメンバーでした。そして当時、一流の道楽者といわれていましたので、 一肌脱いで、たちまち東京中の塗盃を買い占めると、 表に富士山、裏に星条旗を蒔絵しました。
     当日は、雨が降ってしまい、 屋形船の屋根の装飾の赤い染料が流れ落ちて残念なことになりました。しかし 「盃流し」は大成功でした。 川上の船から小川松民が調達したその盃を、1つずつ流し、 川下の船で客が両手を伸ばして、盃をすくい上げるのです。 外国からの招待客にも絶賛されました。 当日の様子は、饗庭篁村が「今紀文(一)」として1890年8月29日の朝日新聞にも、 書き残しています。
     小川松民が没したのは翌年ですが、結局、費用は500円以上もかかり、 負債は後々まで岡倉天心らを苦しめました。

     作品を所蔵する国内の美術館・博物館:

    ・東京国立博物館( 浮線綾蒔絵螺鈿手箱・浮線稜蒔絵螺鈿香箱・ 布引瀧蒔絵長硯箱 古代平文琴
    ・東京国立近代美術館( 松竹梅漆画会席飯汁椀
    ・東京藝術大学大学美術館( 暦文字文蒔絵香合熨斗若松蒔絵盆 ・蒔絵香盆・雲上菩薩蒔絵小箱)
    ・江戸東京博物館(梅竹蒔絵提重
    ・掛川市二の丸美術館(片輪車巴蒔絵煙管筒、夕顔蒔絵煙管筒)
    ・藤田美術館(名取川写炉縁)
    ・徳島市立徳島城博物館(春草蒔絵四方盆・古代草花文蒔絵盆・忍草蒔絵盆)

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    2013年 3月 9日UP