幸阿弥 長輝 (こうあみ ながてる) 生没年未詳
石山寺蒔絵印籠
(いしやまでらまきえいんろう)
幸阿弥長輝作
製作年代 : 江戸時代後期
文化末・文政頃(1810〜20)
法量 :
縦86mm×横47mm×厚27mm
鑑賞 :
幸阿弥家16代当主で、幕府御細工所の御蒔絵師・幸阿弥因幡長輝在銘の印籠です。
ベネチア東洋美術館所蔵の幸阿弥長輝作「秋草鶉蒔絵印籠」と共に、
現存する数少ない在銘作品であり、徳川将軍家所用と考えられます。
ただし実際の作者は、豊川楊溪(初代)と考えられ、
幸阿弥長輝は銘だけを入れたと推測されます。
金粉溜地に肉合研出蒔絵と緻密な高蒔絵で、
紫式部留守模様として石山寺と秋月を描いています。
渓斎英泉挿絵の『源氏物語絵尽大意抄』巻頭の「近江八景 石山の秋月」
に構図を着想した可能性があります。
緒締には珊瑚珠、根付は秋草鶉鏡蓋根付が取り合わされています。
意匠 :
近江国の石山寺は近江八景の1つ「石山の秋月」とも呼ばれる景勝地でもあります。
紫式部は石山寺に参籠し、琵琶湖に映る月を見て「源氏物語」を着想したと伝えられ、
古くから絵画にも描かれてきました。
この印籠では、紫式部本人は描かず、留守模様としています。
懸崖造の石山寺本堂の広縁には、大きな文机が置かれ、
その上に硯などの文房具と筆紙、巻子が置かれています。
建築の描写も江戸時代としては的確です。
松や紅葉の木が配され、崖下の湖面は裏面に続きます。裏面は月と湖面に映る秋月、そして紅葉です。
この印籠の構図は、文化9年(1812)に刊行された、
渓斎英泉挿絵の『源氏物語絵尽大意抄』の巻頭
「近江八景 石山の秋月」に取材した可能性が高いと考えられます。
また明治時代に幸阿弥派の流れを汲む川之辺一朝が制作した「石山寺蒔絵文台硯箱」
(三の丸尚蔵館蔵)に先駆ける石山寺意匠の作品としても注目されます。
形状 :
格調高い江戸形5段、紐通付きの印籠です。
技法 :
・地は金粉溜地で、山や土坡を高蒔絵で、月や琵琶湖、
湖面に映る月を研出蒔絵や研切蒔絵として、
全体を肉合研出蒔絵に緻密な高蒔絵で表しています。
石山寺や松、紅葉は高蒔絵で、土坡や雲、遠山には切金を置いたり、青金粉を蒔き暈しています。
紅葉は朱金や青金を蒔くなどして微妙な色合いを表現しています。
湖面に映る月の表現、雲間に青金粉の研切蒔絵で表される霞の表現などが見事です。
・段内部は金梨子地です。
作銘 :
底部右側に小さな字で、「幸阿弥長輝(花押)」の蒔絵銘があります。
銘の筆跡は、ベネチア東洋美術館所蔵の幸阿弥長輝作「秋草鶉蒔絵印籠」
と全く同一です。
幸阿弥長輝作「秋草鶉蒔絵印籠」:
イタリア貴族の
エンリコ・ブルボン・バルディ伯爵
が、1889年に来日した際に収集した作品で、
現在ベネチア東洋美術館に所蔵されています。
金粉溜地高蒔絵で作風も本作と近く、やはり実作者は豊川楊溪と考えられます。
伝来 :
世界一の印籠コレクターであったエドワード・A・ランガム氏の旧蔵品で、氏の蔵品番号483にあたります。
豊川楊溪:
この印籠は数少ない幸阿弥長輝の在銘作品ですが、実際に印籠を製作したのは
別人と推測しています。画風や金粉の色味、表現方法が極めて似るのが、
2代豊川楊溪作「定家詠十二ヶ月蒔絵印籠」です。
合口の高い精度、高蒔絵に切金を置いた雲や遠山、そして木々、高蒔絵の松、肉合研出蒔絵の流水や土坡などの
表現が非常によく似ています。
豊川楊溪は徳川将軍家の印籠を制作していた印籠蒔絵師です。
作風から梶川系の蒔絵師と考えられ、2代豊川楊溪作「定家詠十二ヶ月蒔絵印籠」
は十二ヶ月、12個の連作で、徳川将軍家のために奉ったものと伝えられています。
幸阿弥長輝には印籠を作るほどの技能がなかったと考えられ、
印籠そのものを豊川楊溪に外注し、作銘だけを
幸阿弥長輝が入れた可能性が高いと考えています。
作風の微妙な違いを考えると、
初代豊川楊溪(?〜1842)が制作したと考えられます。
展観履歴 :
2019 東京富士美術館「サムライ・ダンディズム」展
2022 国立能楽堂資料展示室「秋の風 能楽と日本美術」展
↑先頭に戻る
作者について知る⇒
2013年11月10日UP
2024年 6月24日更新
|
|