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  •  幸阿弥 長孝 (こうあみ ながたか) 生没年未詳

    全体写真

    鯉鮎蒔絵印籠
    (こいあゆまきえいんろう)

     幸阿弥長孝作 狩野典信下絵

     製作年代 :
    江戸時代中期
    宝暦12年(1762)
    〜安永9年(1780)頃

     法量 :
    縦76mm×横54mm×厚21mm

     鑑賞 :
    幸阿弥家14代で幕府御細工所の御蒔絵師・幸阿弥因幡長孝の作品です。
     その下絵も幕府奥絵師筆頭、狩野栄川院典信によるもので、 明和・安永頃に徳川将軍家のために製作したものと推測されます。 幸阿弥長孝の作品では数少ない現存作品で、 高蒔絵と肉合研出蒔絵を併用した高度な技法が使われ、保存状態も極めて良い、豪華な名品です。
     緒締には朱漆塗木目研出蒔絵、根付は藻目高蒔絵根付が取り合わされています。

     意匠 :
    流水文に、表には鯉、裏には鮎を配し、空間に藻を配しています。 蓋の天部では、流水が渦を巻いています。
     表側の右上に「法眼栄川画」と狩野典信の下絵銘があります。 狩野典信は、このような鯉鮎の蒔絵下絵を飯塚桃葉のためにも描いています(参考図)。

     形状 :
    常形4段で、紐通付きのやや小振りな印籠です。

     技法 :
    ・地は青金粉蒔地に梨子地粉も蒔き、研出蒔絵としています。鯉・鮎は地の流水と同時に仕上げており、 蒔絵技法の最高峰とも言える肉合研出蒔絵となり、鯉の鱗はレリーフ状に研出蒔絵となっています。 鮎の体は金・銀・錫等の研出蒔絵としています。藻は青金粉の付描です。
    ・段内部は豪華な刑部梨子地で、通常の刑部梨子地粉よりも厚く、 将軍家所用に相応しい仕立てとなっています。

     作銘 :
    底部中央やや左下に「幸阿弥長孝(花押)」の蒔絵銘があります。 花押が入った長孝の印籠は、高円宮コレクションなどごくわずかしか現存していません。

     伝来 :
    スイス人の印籠コレクター、 モーリス&マルタ・シャンプー夫妻の旧蔵品です。印籠コレクション総数555点の内の1点です。

     参考図 :
    狩野典信下絵・飯塚桃葉作「鯉蒔絵料紙箱」
    桃葉作料紙箱

    松本藩主戸田家に伝来したもので、 「翡翠蒔絵硯箱」と揃いの作品です。蓋甲には藻に鯉、側面には川海老や鮎が描かれています。 前徳島藩主、蜂須賀重喜の息女、寿美姫が、戸田家に嫁ぐ際に持参したと考えられています。




     展観履歴 :
    2003 徳島市立徳島城博物館「華麗なる装い」展
    2019 東京富士美術館「サムライ・ダンディズム」展
    2020 国立能楽堂資料展示室「日本人と自然 能楽と日本美術」展
    2023 MIHO MUSEUM「蒔絵百花繚乱」展

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    幸阿弥長孝作 板谷廣當下絵 丸龍蒔絵印籠

    丸龍蒔絵印籠
    (がんりゅうまきえいんろう)

     幸阿弥長孝作 板谷廣當下絵

     製作年代 : 江戸時代中期
    安永2年(1773)〜
      寛政7年(1795)頃

     法量 :
    縦77mm×横48mm×厚25mm

     鑑賞 :
    幸阿弥家14代で幕府御細工所御蒔絵師・幸阿弥因幡長孝の作品です。 その下絵も幕府奥絵師・板谷慶舟廣當(1729〜1797)によるもので、 東京国立博物館所蔵の 「板谷家伝来資料」にその下絵を確認できます。 天明・寛政頃に徳川将軍家のために製作したと推測される基準作例で、 保存状態も極めて良い名品です。
     緒締には珊瑚珠、根付は白龍作「虎木彫根付」が取り合わされています。

     意匠 :
    板谷廣當下絵の丸龍図を意匠とし、 表裏で阿吽、昇り龍・下り龍にしています。 東京国立博物館「板谷家伝来資料データベース」の 「図案ほか粉本貼り込み画帖」の中に、完全に合致するこの印籠の下絵を確認することができます。

     形状 :
    江戸形4段で紐通付きの、やや小振りな印籠です。

     技法 :
    ・淡平目地で、焼金と青金の高蒔絵に朱漆、金金貝の極付を併用して、丸龍文を表しています。
    ・段内部は金梨子地で、釦は金地です。

     作銘 :
    底部左下に「幸阿弥長孝(花押)」の蒔絵銘があり、 裏面左下には「慶舟画(花押)」の下絵銘があります。

     板谷廣當 :
    尼崎藩士・板谷家に生まれ、13歳から幕府奥絵師・住吉家4代廣守に入門して住吉派の画を学びました。 宝暦9年(1759)に尼崎藩の御徒士小姓で絵師となり、剃髪して慶舟に改名しました。
     安永2年(1773)師家の隠居にあたり、住吉家を相続して10代将軍・家治に御目見し、 同6年に住吉姓に改めました。
     天明元年(1782)に家督・扶持・屋敷を長男・廣行に渡して板谷姓に復し、 同2年には新規御抱の幕府奥絵師となり、寛政7年(1795) から桂舟と号し、同9年に病没しました。
     板谷家はその後、狩野・住吉と共に代々奥絵師を務め、 家伝資料は平成22年に「板谷家伝来資料」として東京国立博物館に寄贈されました。
     このうち 「図案ほか粉本貼り込み画帖」と仮称される画冊には本印籠の下絵がみられるほか、 その上には「日出松干網図小柄下絵」や「松御所車図小柄下絵」、 次頁には、「慶舟」落款の「群鶴図印籠下絵」「群馬図印籠下絵」や、「慶舟画(廣當)」落款の「鶏図印籠下絵」など、 将軍家御好みの印籠や刀装具の下絵もみられます。

    幸阿弥長孝作 板谷廣當下絵 丸龍蒔絵印籠  外箱 :
    桐製挿蓋造で、鉄製の錠前が付いた外箱が附属しています。 蓋甲の貼札に「第五十號三番四の/九 幸阿弥長孝 慶舟画」との墨書があります。

     伝来 :
    2023年に梶川作「若松蒔絵印籠」とともに国内から出現しました。



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    2006年 2月 3日UP
    2024年 6月24日更新