幸阿弥 正峯 (こうあみ まさみね) 生没年未詳
群蝶蒔絵印籠 (ぐんちょうまきえいんろう)
幸阿弥正峯作
製作年代 : 江戸時代中期
享保8年(1723) 〜寛保3年(1743)頃
法量 :
縦67mm×横78mm×厚33mm
鑑賞 :
幸阿弥家13代で幕府御細工所の御蒔絵師・幸阿弥因幡正峯の現存唯一の作品であり、
幸阿弥派在銘としては18世紀前半まで上がる現存最古の印籠です。
切金の剥落も少なく非常に良い状態ですが、
角部には相応の擦れもあり、実際に腰に提げて使用されていたことが窺えます。
8代将軍・徳川吉宗か、その世子・家重の所用と考えられる極めて豪華な名品です。
緒締には珊瑚珠、根付は菊唐草蒔絵の箱根付が取り合わされています。
有名なバイオリニスト、
エフレム・ジンバリスト(1889〜1985)、欧米の印籠コレクターの第二世代のチャールズ・A・グリーンフィールド(1903〜1997)、世界一の印籠コレクターだったエドワード・ランガム(1928〜2009)という錚々たる旧蔵を経た印籠です。
欧米では古くから幸阿弥正峯作として知られていた有名な作品です。
意匠 :
表・裏、天・地まで、パターン化した蝶文を描き詰めた群蝶図です。
羽根の模様は一頭ずつ変えて表現しています。
形状 :
横長2段の大振りな印籠です。天地の甲を高く盛り、塵居を設けた古様な形状です。
8代将軍徳川吉宗は、元禄時代に江戸で隆盛を見た縦長、江戸形の印籠を嫌い、横広の印籠を奨励しました。
それは紀伊藩主時代に落馬した家臣が長印籠で腋を突いて事故死したことによります。
この印籠も横広で、厚さがかなりあることも非常に珍しく、また薬入れとしての実用にも適しています。享保期の時代の好みが反映されているようです。
技法 :
・地は金梨子地で、焼金と小判粉で群蝶図を高蒔絵にしています。蝶は描割で表し、羽根には細かい切金を置き、
付描を加えています。非常に上質な金粉が使われています。
・段内部は実用的な黒蝋色塗に仕立てられ、釦の金地にまで上質な金粉が使われています。
作銘 :
底部中央に蝶文を除けて、「正峯(花押)」の蒔絵銘があり、
欧米では幸阿弥正峯の作品として有名でした。
しかしながら、そもそも幸阿弥正峯の作銘自体が類例がなく、知られていませんでした。
ここに旧館林藩主秋元子爵家に伝来した
重要文化財「桜山鵲蒔絵硯箱」(東京国立博物館寄託・個人蔵)という有名な室町時代の硯箱があります。
その硯箱には幸阿弥家12代長救と、13代正峯が幸阿弥5代宗伯作と極めた2通の折紙が附属しています。
昭和6年(1931)の売立で長救の折紙の図版は掲載されていますが、正峯の折紙は写真がありませんでした。
戦後も展覧会や書籍にこの硯箱はたびたび登場しましたが、正峯の折紙の図版は掲載されませんでした。
ところが1999年になって、
小池富雄氏の「堆朱楊成による唐物漆器の鑑定」『金鯱叢書』第26輯(徳川黎明)に正峯の折紙の図版が初めて掲載されました。そこに書かれていた署名から花押が初めて明らかになり、
この印籠銘と同じであることが確認できました。この折紙により、13代幸阿弥正峯の現存唯一の基準作銘であることが改めて裏付けられました。
伝来 :
有名なバイオリニスト、エフレム・ジンバリストの旧蔵品です。
大正末から昭和の初めに度々来日
しており、その頃に国内の名家から流出したと考えられます。
ジンバリスト・コレクションの印籠は、
1948年にパーク・バーネットギャラリーのオークションで売却され、
この印籠はチャールズ・A・グリーンフィールドの所蔵品となりました(蔵品番号122)。
グリーンフィールド・コレクションであった時期には、
ニューヨークのジャパンソサエティーやメトロポリタン美術館で展示されたこともあります。
当時は、
山姥金太郎木彫根付と蔦唐草彫緒締が取り合わされていました。
その後、グリーンフィールド・コレクションは
1980年にロンドンの老舗美術商エスケナジーで売立られ、
世界一の印籠コレクターだったエドワード・A・ランガムの所蔵となりました。
そして2015年にボナムス社の第6回ランガム・コレクションの売立で売却され、約百年ぶりにようやく日本に里帰りしました。
展観履歴 :
1972年 ニューヨーク・ジャパンソサエティー
「The Magnificent Three, Lacquer, Netsuke and Tsuba」展
1980年 ニューヨーク・
メトロポリタン美術館
「Japanese Lacquer, 1600-1900」展
2019 東京富士美術館「サムライ・ダンディズム」展
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