• TOP
  • はじめに
  • 蒔絵概略史
  • 江戸の蒔絵師
  • 京都の蒔絵師
  • 作品展示室
  • 蒔絵用語辞典
  • 保存と修復
  • 印籠の装い
  • 発表論文
  • プロフィール
  • 研究日誌
  • リンク集
  • メール
  •  山田 常嘉 2代 (やまだ じょうか)1680〜1749

    蘆帆蒔絵印籠

    蘆帆蒔絵印籠
    (あしほまきえいんろう)

     山田常嘉(2代)作

     製作年代 : 江戸時代中期
    宝永〜寛延頃(1710〜1740)

     法量 :
    縦88mm×横47mm×厚24mm

     鑑賞 :
    徳川将軍家の御印籠師・山田常嘉が、琳派風に鉛・螺鈿に高蒔絵で表した印籠です。
     緒締は瑪瑙、根付には挽物が将軍家御挽物師・池島立佐作の海松貝蒔絵根付が取り合わされています。

     意匠 :
    大きく張った帆を強調した船に芦を配した意匠です。同じ「常加」銘で船だけを表した「船蒔絵印籠」が Museum für Lackkunnstに所蔵されています。 また同趣の「蘆帆蒔絵硯箱」(現所在不明)が、仙台藩主・伊達家にかつて所蔵されていました。

     形状 :
    江戸形5段の印籠です。江戸形で段数の多い印籠は元禄期に江戸で流行しました。 山田常嘉歴代の印籠でも常形に次いで多く見られます。

     技法 :
    ・黒蝋色塗地に鉛板と高蒔絵で船を、螺鈿で帆柱を表し、綱や芦を高蒔絵で表しています。琳派の蒔絵を意識しています。
    ・段内部は金梨子地で、釦は金地です。 印籠内部

     作銘 :
    印籠の底部左下に「常加」の彫銘があります。 山田常嘉が「嘉」ではなく「加」の字を用いた作銘は、2代や3代が稀に使用したと考えられ、 彫銘としたものも数点確認できます。 2代山田常嘉が挿絵を描いた享保8年(1723)刊行の俳書『百華實』では「山田常嘉斎畫(常加)」の落款があり、印文に「常加」を用いています。 また天明元年(1781)刊行の稲葉通龍『装剣奇賞』でも「山田常加」として採録されており、当時「常加」銘の作品が少なからず流通していたことが窺えます。

     伝来 :
    国内に伝来し2022年にうぶで出現しました。 その後、二、三の所蔵を経て行方不明になりましたが、2023年に再出現しました。

     山田常嘉作「船蒔絵印籠」 :
    ドイツのミュンスターにあるBASF社のMuseum für Lackkunnstの所蔵で、ほぼ同形状、同構図のものですが、 芦が全く描かれていないことだけが異なります。作銘も全く同じで「常加」の彫銘です。

     山田常嘉作「蘆帆蒔絵硯箱」 :
    現存を確認できませんが、仙台伊達家の伝来品で、伊達家の所蔵品目録「観瀾閣寶物目録」に次のように記載されています。

    丁第二十八号 乙ノ乙
    一 蘆帆蒔繪丸 内浪ニ貝尽蒔繪常加作
     一 指渡八寸五分 一 硯撫角鼠色金縁 一 水滴銀貝形
     一 綿入袋 一 凾黒塗金銘損シ

    山田常加作 蘆帆蒔絵硯箱 この硯箱は仙台伊達家の2度の売立にも出品されず、昭和初期でも伊達家に所蔵されていました。 昭和6年(1931)12月に刊行された『漆と工藝』第368号の表紙に図版があり、 表紙裏に「蘆帆蒔繪硯箱 伊達伯爵家蔵」として解説があります。 解説によれば、蓋甲に高肉で帆を表し、蘆には青貝を交え、 側面から角の面取部にかけて青海波の研出蒔絵となっていたようです。 蓋裏には磯の波を研出蒔絵で、貝殻を蒔絵と貝甲で実物のようにしてあり、 「山田常加」の印銘があったようで、常憲院時代の初代常嘉作であろうとされています。 年代的におそらく「蘆帆蒔絵印籠」と同作者で、2代山田常嘉の作品とみられます。


    ↑先頭に戻る

    →作者について知る


     山田 常嘉 3代 (やまだ じょうか)?〜1798

    猿猴捕月蒔絵印籠
    (えんこうほげつまきえいんろう)

    全体写真

     山田常嘉(3代)作

     製作年代 : 江戸時代後期
    延享〜寛政頃(1746〜1798)

     法量 :
    縦80mm×横63mm×厚19mm

     鑑賞 :
    徳川将軍家の御印籠師、3代山田常嘉作の印籠です。 薄梨子地に「猿猴捕月図」を研出蒔絵とした印籠です。 緒締は瑪瑙、 根付は七宝根付」が取り合わされています。

     意匠 :
    川面に映る月を取ろうとする3疋の親子猿を描いています。 表に猿を、裏に水月を振り分けたのは印籠蒔絵師らしい発想です。 「猿猴捕月図」は、「猿猴捉月図」ともいい、『摩訶僧祇律』が原典で、 猿たちが井戸の水面に映る月影を取ろうと 手と尾をつないで下りてゆき、枝が折れて皆溺れ死んだ故事に基づいています。 身の程を知らずに大望を持って却って失敗することのたとえになっています。 室町時代から水墨画や工芸品に見られ、 長谷川派・狩野派等によって盛んに描かれました。

     形状 :
    常形4段の印籠です。山田常嘉の印籠では、最も多く見られる形です。

     技法 :
    すべて研出蒔絵で表わしています。猿の毛の柔らかさは、輪郭を描かずに、蒔き暈かしに毛を描くことによって表わしています。 平目粉、梨子地粉を交え、焼金粉・青金粉を蒔き分け、水月にのみ銀粉を使用しています。 中は金梨子地になっています。

    印籠内部 印籠蒔絵銘 印籠の底、左下に「常嘉斎」の蒔絵銘があります。

     伝来 :
    伝来は不明です。海外に渡っていた記録はなく、 国内に伝来してきたようです。2006年に発見されました。

     展観履歴 :
    2019 東京富士美術館「サムライ・ダンディズム」展

    ↑先頭に戻る

    →作者について知る


     山田 常嘉 4代 (やまだ じょうか)?〜1816


    日本地図蒔絵印籠
    (にほんちずまきえいんろう)

     山田常嘉(4代)作

     製作年代 : 江戸時代後期
    寛政末〜文化頃(1798〜1816)

     法量 :
    縦77mm×横63mm×厚17mm

     鑑賞 :
    徳川将軍家の御印籠師、4代山田常嘉作の印籠です。 17世紀の日本地図を緻密な研出蒔絵で表した印籠です。
     緒締は古渡の雁木トンボ玉、根付はオランダ風の模様の「唐草文鏡蓋根付」が取り合わされています。

     意匠 :
    「国尽し」とも呼ばれる日本地図の意匠です。 近代的な日本地図ができる以前の17世紀の日本地図を意匠として用いたもので、 「扶桑国之図」の影響を受けていると考えられます。 日本六十余州に朝鮮国、琉球国、蝦夷地まで描かれています。 国名を四角囲みとし、江戸、京、大坂は楕円形の丸囲みとし、 主要な藩庁所在地を□や○で表し、大藩や有名な神社はカタカナで名称が書かれています。 富士山や朝鮮通信使船、菱垣廻船や漁船、厳島神社の社殿などは、 絵で表現されています。海は一糸乱れぬ波模様が描き詰められ、阿波の鳴門の渦潮なども表現されています。

     形状 :
    やや小ぶりな常形3段の印籠です。紐通部の側面を面取りしたのは、 日本地図の意匠で、側面にも地図を連続させたかったからでしょう。天地はゆるく甲を盛っています。

     技法 :
    黒蝋色塗地にすべてを研出蒔絵で表わしています。国ごとに金粉を変え、 描割と引掻きで表しています。天地は金粉溜地で、段内部は金梨子地になっています。

     作銘 :
    印籠の底、左下に比較的大きな字で、「常嘉斎」と蒔絵銘があります。筆跡から4代常嘉斎の作銘と考えられます。

     日本地図蒔絵印籠 :
    17世紀の日本地図を蒔絵した印籠は決して多くは残っていません。 無銘の印籠が4点ほど知られ、 神戸市博物館や大阪市立美術館にも所蔵されています。
     一番多いのは、稲葉銘のもので、三井記念美術館をはじめ ビクトリア&アルバート美術館など5点が確認されています。
     また初代飯塚桃葉の作品も1点現存しています。
    印籠内部 印籠蒔絵銘  山田常嘉の日本地図蒔絵印籠は、 7代常嘉斎の1点(旧ランガム・コレクション)のみが知られていました。この作品は新出資料です。

     伝来 :
    伝来は不明です。海外に渡っていた記録はなく、 国内に伝来してきたようです。2014年に発見された新出作品です。

     展観履歴 :
    2019 東京富士美術館「サムライ・ダンディズム」展


    ↑先頭に戻る

    →作者について知る







    桃蒔絵印籠
    (ももまきえいんろう)

     山田常嘉(4代)作

     製作年代 : 江戸時代後期
    寛政末〜文化頃(1798〜1816)

     法量 :
    縦80mm×横51mm×厚23mm

     鑑賞 :
    徳川将軍家の御印籠師、4代山田常嘉作の印籠です。 研出蒔絵に平文を併用した珍しい趣向の印籠です。
     緒締は珊瑚珠、根付は貝合蒔絵饅頭形根付が取り合わされています。

     意匠 :
    桃の木を表し、上部にすやり雲を描いています。

     形状 :
    昔形4段の紐通付の印籠です。天地に甲を盛っています。

     技法 :
    ・潤塗地に上部から天部にかけて焼金粉と青金粉の研出蒔絵ですやり雲を表し、 両面に焼金粉の研出蒔絵と金平文に付描のみで桃の木を表わしています。 いくつかの花にだけ平文を併用していることが珍しく、同じ金色ながら平文の花だけが一層光り輝きコントラストを見せる趣向になっています。
    ・段内部は黒蝋色塗で立ち上がりと釦を金粉溜地としており、少し珍しい仕様です。

     作銘 :
    印籠の底、左下に比較的大きな字で、「常嘉斎」と蒔絵銘があります。筆跡から4代常嘉斎の作銘と考えられます。

     伝来 :
    伝来は不明です。国内に伝来してきたようです。2018年に出現した作品です。

    ↑先頭に戻る

    →作者について知る



     山田 常嘉 5代 (やまだ じょうか)?〜1818

    唐草蒔絵吸物椀
    (からくさまきえすいものわん)

    全体

     山田常嘉(5代)作

     製作年代 : 江戸時代後期
    文化13年〜14年(1816〜1817)

     法量 :
    直径216mm×高89mm

     鑑賞 :
    徳川将軍家の御印籠師、5代山田常嘉作の吸物椀です。 江戸の蒔絵師による在銘の椀類は現存するものが極めて稀で貴重です。 また総銀溜地に唐草蒔絵とした清々しい作品で、 そのセンスは、当時としてはもちろん、現在でも驚かされます。

    全体  意匠 :
    身と蓋の外面の口縁に細かい唐草模様があります。 唐草の蔓の線は非常に細く、しかも太さが変わらず長く引かれています。 唐草の葉も決まった大きさに規則正しく描かれています。

     形状 :
    全体に丸みを持った梅形と呼ばれる吸物椀の形です。 身も蓋も高台が比較的高く作られています。 蓋の形は昔形の盃と同じような形状で、盃としても使えます。 蓋の高台に銘を入れているのはそのためでしょう。

     技法 :
    全体 欅と思われる材を挽物にして、内外総銀溜地に外の口縁に青金粉で唐草を平蒔絵にしています。 釦は金地です。それぞれの蓋の見込みに「常嘉斎」の蒔絵銘があります。

     作銘 :
    それぞれの蓋の見込みに「常嘉斎」の蒔絵銘があります。伝来する過程で消耗して、現在10客の内、 1客の蓋が欠失しています。


    蒔絵銘 蒔絵銘 蒔絵銘 蒔絵銘 蒔絵銘 蒔絵銘 蒔絵銘 蒔絵銘 蒔絵銘






    ↑先頭に戻る

    →作者について知る



     山田 常嘉 7代 (やまだ じょうか)1811〜?

    松竹梅丸文蒔絵印籠
    (しょうちくばいのまるもんまきえいんろう)

    全体写真  山田常嘉(7代)作

     製作年代 :
    江戸時代末期〜明治時代初期
    嘉永〜明治10年頃(1850〜1880)

     法量 :
    縦91mm×横43mm×厚23mm

     鑑賞 :
    徳川将軍家の御印籠師・7代山田常嘉作の印籠です。 桑木地に松竹梅の丸文を木地高蒔絵とした印籠です。 緒締は木地、 根付は「松竹梅丸文蒔絵根付」が取り合わされています。

     意匠 :
    表裏にそれぞれ「松」「竹」「梅」の丸文を配しています。 表は上から「松」「竹」「梅」、裏は下から「松」「竹」「梅」の配置です。 丸文の意匠は左右対称の古代文のような珍しい図案になっています。 また「松」は「若松」を図案化しています。

     形状 :
    江戸形3段の印籠です。天地は甲を盛らずに平です。 同じ形状、構造の印籠が原羊遊斎・古満寛哉・飯塚桃枝の作品にも見られるので、 江戸にいたであろう専門の刳抜工の仕事と考えられます。

     技法 :
    桑の木地を刳り抜き、立上りのみ別の桑材を嵌め込んでいます。
     木地には摺漆をして目止めを行い高蒔絵が施されました。 表面は、「松」が四分一粉に金平目粉を蒔いています。「竹」と「梅」は赤銅粉の高蒔絵で、 「梅」の花は絵梨子地にしています。 裏面は、「松」と「梅」は赤銅粉で、「梅」の花には青金粉を蒔いています。 「竹」は四分一粉の高蒔絵で、細かい平目粉を蒔いています。 段内部は素地のままです。

    印籠内部 印籠蒔絵銘  作銘 :
    印籠の底、中央下に7代常嘉の花押だけがあります。

     伝来 :
    国内に伝来し、2022年に発見されました。


    ↑先頭に戻る

    →作者について知る



     山田 常嘉 8代 (やまだ じょうか)1835〜?

    全体

    紅葉蒔絵文箱
    (もみじまきえふばこ)

     山田常嘉(8代)作

     製作年代 : 
    江戸時代末期
    嘉永〜慶応頃(1851〜1867)

     法量 :
    縦217mm×横61mm×高26mm

     鑑賞 : 全体
    徳川将軍家の御印籠師、8代山田常嘉作の文箱で、実用に供されていたものです。 宛名を墨書するために、蓋甲を短冊状に銀粉溜地として、散紅葉を配しています。

     意匠 :
    宛名用に短冊状に銀粉溜地とし、宛名がかからない下の方に散紅葉を配しています。 5枚の紅葉のバランスや重なり、1枚だけ葉の先が裏返った様子が心憎いばかりのデザインです。
     見返しと見込みには「戸」の文字があります。この1字で持ち主の差出人が分かる 全体 相手に出すことを考えての道具でしょう。 鐶金具の桔梗紋と合わせて考えると、 所用者は大名・旗本とは思えず、奥女中などの可能性もあります。

     形状 :
    縦長、長方形、被蓋造の文箱で、蓋甲を僅かに盛っています。 側面の蓋鬘には手掛かりを取り、玉縁を作っています。
     鐶が付き、房紐で結ぶようになっています。 房紐は優に100年は経過していると思われるもので、 劣化が激しく、辛うじて原形を保っており、 制作当時のものと思われます。

     技法 :
    表面は黒蝋色塗で、 蓋甲の中央のみを短冊状に銀粉溜地の研切蒔絵としています。 紅葉は高蒔絵で朱漆、青漆を使い、焼金、朱金で表しています。4枚は葉脈を描割とし、 青漆の1枚は切金を置いて、葉脈を付描きで表しています。
     内部は黒漆の真塗で、見込みと見返しの中央に朱漆で「戸」と書かれています。
     鐶は銀製で桔梗紋をかたどり、絹の紫房が附属しています。

     作銘 : 鐶
    蓋見返しの左下に「常嘉斎」の蒔絵銘があります。筆跡から見て、8代山田常嘉の作銘です。

     伝来 :
    国内に伝来し、2010年に新たに確認しました。今回初公開です。


    銘





    ↑先頭に戻る

    →作者について知る

    2007年10月 1日UP
    2024年 2月16日更新